彼女が主になるまで

ー主の名前を知っているか?  聞いてきた男に、自分は"知らない"と心の中で答えた。知っちゃいけないんだろう?とも言った。勿論、心の中で、だ。へたに何か口に出すとろくな目に遭わないと、知っている。  昔は兄様たちを助けるために色々叫んだが審神者も役人も口約束ばっかりでなんにも返してくれないと知ったのだ。 ー知らないなら教えてやる。この子の名前は指貫世祖だ。  懐から取り出された流麗な文字に息を呑んだ。美しい、文字だ。半紙には目もくれず、その文字だけをじっと見つめた。美しくも、儚い字だ。見れば見るほど心があふれてきてしまい、自分でもどうすればいいのか分らなくなった。  ただあふれたものを押えることも、落ちたものを止めることもできなかった。そのせいで「あ、」と声が漏れた。男はこっちを見て、首をかしげて、また前を向く。 ーお前たちにしてほしいことはたった1つ。この子を、知ってほしい。 ーなぜです? なぜ、いまさら しらなければいけないのです?  今剣の言い分ももっともだと思った。本当に。今更な話だ。 ー理由など簡単だ。この子は、ひとりだからだ。 ーひとり? ひとりなわけが ありません。せいふのてのものが ついています。 ーそれでも、ひとりだ。 ーどうどうめぐり、ですね。  今剣は古参の刀だ。へたな刀剣たちよりもよっぽど世の道理を知っている。ここで口をはさむのは、道理ではないと。ここにいる刀剣たちは知っている。 ーこの子の世界は、黒い。黒くて、何も見えない。 ーなにをいってるんです? せかいは こんなにもあかるいです。 ー猶更だ。せいは頭がよい。とてもじゃないが、お前たちの脳をすべて足したってこの子にはかなわない。 ーしっています。 せいふは それをかったのでしょう? ーそうだ。だが、そうではないともいえる。この子は、自分が使われることを知ってここに来た。お前たちが、自分を主として認めてないことも、知っている。知っていても、この子は逃げられない。 ーそんなのは ぼくらもおなじですよぅ。ぼくらは けいやくにしばられています。  口論はどんどん白熱していっていた。もはや2人には周りのことなど気にせず、ただ自分の意見をぶつけあっていた。そんな中で主はどこ吹く風で、長谷部殿の肩によじのぼる練習をしていた。あの人は頭が弱いんだろうか? 数分後。 ぜーぜーと息をきらし、彼は畳に座り込んだ。 「てんめっ、何度言やぁわかるんだ…! 世祖を主と認め、戦えってんだよ!!」 「いいえ、わかりません!! ぼくらは いまはもうつくもがみ!! あるじぐらいえらびたい! ぼくはあなたをあるじにしたい!!」  今剣の言葉に、主はようやく反応を示した。とてとてと今剣の元に向かっていく。びっと指差して、「#名前2#はわたしの!」と叫んだ。今剣は面食らって、口を開けたがすぐにぎっと睨み返して「そんなのは ずるいですよ!!」と叫んだ。  そこからは男が口をはさむときなどなかった。2人でぎゃんぎゃん騒いで、殴って蹴って、最後は泣きながら男の膝にしがみついていた。  男は始終困った顔をして、自分の名を呼んだ。 「小夜。助けてくれよ、友達なんだろ?」  はぁ、と息をついて僕は立ち上がった。復讐じゃなくて助けを乞うなんて。この人もたいておかしな人だ。今剣を隣に座らせると「さよくん! まだおわってないです!」と叫ばれた。そ、そんなこと言ってもなあ…。 「そんなことよりもだ! ちゃんと言っとかねえといけないことがあんだよ!!」 「あんた、さっきまで喧嘩してたじゃんん」 「加州、黙っとけ!」 「そうだぞ、#名前1#。加州の言うとおりだ」 「っさいってば!」  はー、と息をついてお茶を飲み干してから「世祖は、病気なんだ」と言った。 「びょうきですか?」 「ああ。……自閉症っていうんだ」 「なんだいそれ?」 「自閉症っていうのは、まあ心の病気っていっていいかな。人と会話するのが苦手なんだ。それに決められた行動もしづらい。興味のあるものは追いかけたいし、言っちゃいけないことも口から出ちゃうんだ。俺が治していこうと思ってるけど、まだまだ始めたばっかりだから見守っててくれや。 んでもって、世祖は人より何倍も頭がいい。そりゃあ、俺の3倍…以上かな? 指数がわかんねーけどそんぐらいだろ。まあ、そんくらい頭がいいんだ。お前らが隠してることなんてバレッバレ。ばらしていいのならお前らの気持ちを読むことだってできるし、ほれ、空気だってあやつれる」  そういって彼ー#名前1#さんでいいのかな? 自己紹介されてないんだけどーは持っていた湯呑を宙に浮かして見せた。五虎退がと秋田が「うわぁ」って言ってたのが聞こえた。やっぱり気になるんだなあってちょっと思った。僕が気にしてないわけじゃないんだけどね。 「まあ実際は他にも色々できるようになったがな」と言って笑う#名前1#さん。……彼も、できるんだろうか? ん? なんか違和感があるなあ。 「んで、ここで言っておきたいのはお前らが世祖を主と認められなくてもここで生きる限り共存することが第一条件なんだよ。言ってることわかんないかな?」 「はーい」 「はい、今剣」 「ぼくは #名前2#さまに あるじになってほしい!」 「はい却下。俺は審神者になるためにここに来たわけじゃない」 「はい!」 「ほい、長谷」 「主を主と呼んでも反応してくれないんだが!」 「あ、そうだった」  この間で今剣に彼の名前を聞いてみると、小声で「#名前1#。号は#名前2#と言うそうですよ」と教えてくれた。僕も今剣に倣って"#名前2#さま"と呼ぶことにする。 「世祖、主だがお前らの名前で呼んだってわからないからな。ちゃんと"世祖"って名前で呼んでやってくれ。あ、一応言っておくと神隠しなんて馬鹿な真似すんじゃねーぞ。名前は真名じゃないからな」  釘だけはしっかりさして長谷部に「ほかに言うことあったかな?」と聞いていた。主…世祖さまよりも#名前2#さまは頭が弱いかもしれない。 「……。お前、自己紹介してないだろう」 「…ああ」  ぽんっと膝で手を打って前に向き直って頭をさげた#名前2#さま。 「知ってのとおり、世祖の守護をやることになった#名前1#だ。号は#名前2#。よろしくたのむ!」 「……。せいそ、#名前2#、むつ」と世祖さまが言って手をあげると#名前2#さんの腰から刀が浮き上がった。たぶん、陸奥守吉行かな。 「あ、忘れてた。ごめん、陸奥! えっと、こいつは俺が扱う刀で陸奥守吉行。お前らと同じ世祖の刀っていうわけにはいかないから…。まあ、俺の部屋にこいつがいても気にスンナってぐらいかなー。 そうだ。これも言っとかないとな。俺もなんか理由はわからんが世祖と同じような力が使えてるから。霊力補正とでも思っといてくれ」と言ってしめくくった。  そのあとは世祖さまが陸奥守吉行を浮かしたまま自分も逃亡してしまい、#名前2#さまが追いかけることとなった。  残った僕らは上座に座る加州を見つめた。この本丸では加州が仕切ることが常だったから。 「…まあ、あんなやつだけど悪い奴じゃないよ。それと、世祖は普通に呼び捨てにしてあげてって。こんのすけから伝言がきた」  ここでいうこんのすけからの伝言は暗喩で、意味は担当の沖野さんからの伝言ってことだ。 「#名前2#は…呼び捨てでもいいと思うけど、一応さんづけかなあ。したくないけど、世祖がそう望んでるからって。そうだよね、長谷部?」 「ああ」 「うん、そんなわけだから。困ったことがあったら俺に言えばいいし、世祖が今まで通りの生活じゃなくてきちんと俺たちに合わせられるように呼ばれたってだけだから。#名前2#のことはあんまり気にしなくていいよ。 …っと、今剣」 「なんです?」 「あのさぁ、引き取りなのはわかってるけどさすがに世祖を貶すようなことがあったら…」といって加州は刀の柄を手に取った。 「してません! ぜんぜんしてません!!」と今剣は叫びながらどこかへいってしまった。 「…はあ。まあ、いいけどね。この本丸のやり方がおかしいのなんて今更なわけだし。小夜、あとで今剣についてやってね」 「うん、わかった」  今剣のあの言葉は本心なんだろうか。ぼくにはよくわからなかった。