02
兄は人を人と思ってない節がある、と時臣は思う。遠坂#名前2#という人間も含めてこの世に親切心をもった人はいないのだ、と考えてるかのような振る舞いをするのだ。それこそ、この世の世界すべてが原子と法則により成り立つ物質であって、自分もそこに属するという意見が彼の中でまかり通るほどに。 兄は今は沖野#名前2#だがどうやらそこの教育が過激すぎるのか、まるで代行者よりも苛烈な雰囲気を醸すようになった。言峰綺礼がもう日本に行きたいと言い出さなければおそらくあの場は戦場になっていた。 #名前2#はそれを聞いて静かで穏やかな顔となり、うちの者が送ってくれるそうだからと一緒に行くことを誘った。綺礼はそれに頷き、兄は時差があるから少し休ませてくれと客室に行った。令呪の浮かんだ目は闇の中にも光るように映されてまるでネコのようだ。なぜ令呪が目に出たのか、今回の聖杯戦争に不穏な影をもたらしそうだというのは時臣でも分からされた。 この場にいた代行者の言峰父子は#名前2#の雰囲気にあれは危ないと語った。 「それに彼が持っていた蟲はマキリのものでしょう? なぜ沖野家が……」 「極東のマキャベリストであるから、何をするかは分からないよ」 彼の所業の数々は魔術協会にも知れ渡っていることだろう、と時臣は続けた。魔術の秘匿をものともせず、魔術と異能を融合させた何かでこの世の全ての破滅を企んだ男。父親がなぜ#名前2#を沖野という男に養子に出したのか今でもわからない。まだ他にやり方は無かったのだろうかと思うが、魔術師の情勢に則ったやり方に時臣は浸りこんでいるため自分から何か言うことははばかられた。 「今度こそ、私は兄様を幸せにしたいんだ」 時臣は#名前2#がまだ遠坂の名前を冠していた時のことを覚えていた。#名前2#がとっくのとうに削除した記憶をずっと持っていたのだ。 #名前2#にいさま、と呼びかけると振り返って彼は悲しそうに笑った。俺はお前の兄じゃないんだよ、と何度も聞かされた。でもにいさまと呼びたかった。彼だけが自分を何も無い時臣だと見ていた。 遠坂家次期当主に時臣がなることは生まれた時から決まっており、妾腹の#名前2#はどこかへ追いやられるかするはずだったのだが当主の決定により従者として#名前2#は家に残っていた。執事見習のごとく扱われ、家の中での格は一番下だったが彼は生来のネガティブな考え方で上手くやっていた。 自分がもっと頑張れば出来るかもしれないけれどそれが自信にはならないのが#名前2#の特性で、それは正に厳しく躾けるメイドや執事たちと上手くあてはまっていた。時臣は彼が血の繋がりでは兄と知っていたけれど母親の血がものを言う世界なので年功序列にならないここに生まれ落ちたのは運命なのだと割り切った考えをしていた。 時臣とはいくつか違う#名前2#は時臣とちがって体も大きくまるで違うことが、ある種の安心をくれた。彼と似てないことが幸いとさえ思っていた。 そんな兄に英才教育を受けていないが何かの才能があることは分かっていた。その才能を知ったのは時臣が貴族として狩猟へと行ったときだった。ウサギを狙い銃を構え、撃とうとした瞬間。獣の鋭い鉤爪が時臣のすぐ近くの木をかすめ取った。獣に襲われると体で知ったのはあれが初めてで最後のことだ。 熊が時臣を目指してやってきた時に、#名前2#はなんの躊躇いもなく時臣の前に出て時臣から預かっていた銃弾を手に構えて撃ち殺したのだ。人間では到底出来ないことをやってのけた後、彼は後ろを振り向いてヘラリと笑った。なんの言葉もなかった。 あの時、時臣は持つものと持たざるものがいることを頭で知った。時臣は後者だった。それを知った途端唐突に遠坂#名前2#が兄なのだと理解した。兄は弟より優れているのだと心が判断した。兄のようにはいくら頑張ってもなれなかった。 別れる前に1度だけなんでそんな風に強いのかを聞いたことがある。兄はこう答えた。強い人間が弱い人間を殺すところを見て、未来を考えない権力をもった上司に殺される道を進んで、最後はこの世の全てを詰め込んだ頭脳に会って自分がちっぽけで何も出来ない存在と知ったのだ、と。そう言った時兄は笑っていた。時臣がこの世に生を受けてから初めてみた兄の笑顔だった。 時臣から兄をよろしく頼むよ、と言われても綺礼はどうすればいいのか分からない。師匠の兄というのは立場がよく分からないものだと思った。それは向こうも同じだったらしく「まあ適当によろしくな」と笑いかけてきた。上っ面の笑みを見せた彼に素面が気になった。時臣の昨日の話を聞く限り、彼は綺礼と近しい存在だと思ったのに。人として破綻している性格がまさしく。 歩きながら沖野#名前2#は自分には探している人がいると話し始めた。サシズキセイソという少女か女性かもしかしたら赤ん坊の、生命がメスのその人を探しているのだと。 「本当は聖杯戦争なんかに参加せずにそいつを探してやりたいんだ。俺がいないだけで生きる気力を無くすようなやつだから」 ……前言撤回だ。この男は綺礼と近しくなどない。むしろかなり離れている。ベクトルは綺礼の父や時臣とは違う方向だが距離は同じいやそれ以上に離れているかもしれない。人を愛することを知っているこの男は社会不適合者のくせに幸せの一端と呼ばれるそれを知っている。 「……綺礼はさ、」 #名前2#は綺礼のことを下の名前で呼び捨てにした。別に何も構わないのだが、なんだか変な感じがした。父以外に下の名前をそんな声色で呼ばれることがなかったせいだろうか。 「聖杯戦争に参加するのか?」 「ええ。令呪が出ましたので」 「願いは?」 「ありません」 「へえ、あるのか」 人の話を聞かないところは弟の時臣と同じだった。#名前2#はそうだよなあるよなあと頷きながら綺礼を見つめて「そんな願いを持って悩んでどうするんだ?」と訪ねてきた。心に冷水を浴びせられたようだった。クラスター爆弾が綺礼の心に投げ込まれて#名前2#が今にも起爆スイッチをおそうとしているようだ。綺礼は己の訳の分からない気持ちを人質にとられ、何も言い返せなかった。 「……」 「俺、それなりに観察するようにしてんだ。だから俺が今聖杯戦争に参加したくないのに弟の頼みで面倒くさかろうがやらざるを得ない状況の話をして今のお前は顔が揺れたな。あれは笑いだ。笑いの筋肉だ。お前さん、人の不幸を願うタイプか?」 綺礼は何も言わなかった。この男の戯言だ、と切って捨てた。 「…綺礼、お前はさ」 そこで言葉を切った#名前2#は待てど何も言わない。綺礼はじれて何でしょうか、と自分からたずねた。 「……ああ、いや。俺の昔の友人に似てるなあと思っただけさ」 「昔の、友人」 魔術師なのに綺礼のような友人がいたのか、と考えると驚きがあった。似ていると言われた自分は真面目で朴訥な表面上のみが磨かれた綺礼かもしれないし、心の奥底で#名前2#のような不本意な人生を歩む男を哄笑するような神父にあるまじき綺礼かもしれないがどちらにしてもこの男と友人というのは不可思議な話だった。 人類史上稀に見るほどのマキャベリストの息子となって、更に苛烈となって人すらも見つめようとしない男に友人という言葉も似合わない。綺礼よりも、よほど似合わなかった。 「その友人は人が苦しむ姿を見るのが楽しいらしくてな、自分からそんな光景が見られる軍隊に所属してた。馬鹿な男で自分からそんな巣窟に入ろうとしたんだ。だがまあ、面白いやつで俺はそいつを気に入ってたよ。俺は平凡な男だからな、失敗することも不運が重なることも平々凡々にあった。友人はそれを見てゲラゲラ笑ってたがソイツだって平凡な男だったから友人が不幸に見舞われれば俺が笑ってやってたんだ」 なんでこんな話を綺礼は聞かされているのか。この男は綺礼もそうなるから平気だとでも言いたいのか。そう考えたらそれ以外の理由が思い浮かばなくなった。ただの世間話にしては危うい話なのだ、綺礼にわざと聞かせようとしているとしか思えない。 目の前の男は綺礼を馬鹿にしてるんじゃないか。そんな友人綺礼には絶対に現れないし、現れてもそうは扱えないし扱われることもない。 「私は神父だ。神の下に仕える身。そのような友人など必要ない」 「友人作れなんて一言も言ってねえよ、俺はただお前がやけに悩んでるみたいだから気を紛らわそうとしただけ」 本当にそうなのだろうか? #名前2#の表情からは何も読み取れない。時臣と話していた時と口調が違うだけで彼には苛烈な激情しかなかった。彼の目の令呪が少しだけ光った気がした。 「……あなたのことは、何と呼べば」 口に出すよりも前に#名前2#は綺礼の方をじっと見つめて笑わないまま「時臣を頼むな」と歩いていく。 数歩はなれたところで「俺のことは#名前2#さんとでも呼んでくれ。義父を俺は沖野さんと呼んでるからな」とついでのように付け足した。 「分かりました、#名前2#さん」 形式のように返すと#名前2#は「お前は友人に似てるが喋りはまるでオオデンタみたいだな」と呟いた。オオデンタとは何なのか聞く気にもなれなかった。 「……なあ、綺礼」 「なんでしょうか」 もそもそと彼の上を履い回る人面蟲がちゅみん、と変な音をたてた。彼はそれをよしよしと撫でて「残念だなあ、お前は死んじまうんだ」と人面蟲の背中を指でほじくり始めた。 「……その蟲は死ぬのですか?」 「え? あ、ああ……。そうか、口に出てたか。そうだな、多分死ぬなあ。穴開けて蝋を詰め込んどいたんだ。もし綺礼が俺のことを敵と判断したら戦わなきゃいけないだろ? 蟲たちには限界突破したままで万全の体制でいてもらわなきゃだからなあー」 コイツお気に入りだったんだけどなあ、ともぞもぞ動く蟲を指で捕まえてジャケットの内ポケットに突っ込まれた。まるで動かないジャケットに何が起きたのか分からなかったし、聞くことも嫌だった。 「あ、そうだ。聞きたいことがあったんだ。綺礼、お前は何を召喚すんの?」 「私は、父から受け取った聖遺物がありますので、おそらくアサシンかと」 「へえー。俺は……なんだろ、沖野さんはきっと用意してくれないから多分相性かなあ。聖遺物用意出来れば越したことはないけど」 そこで言葉を切った#名前2#からまたあの苛烈な雰囲気が滲み出た。動かなかったジャケットがもぞもぞとくねる動きをし始めて、また蟲が生きていたのかとなぜかホットするような気持ちが芽生えた。 「ああ、そうか。そうだな。うん、そうかもしれない」 「? ……どうかしましたか」 「いや。沖野さんがなんで俺に令呪を渡して聖杯戦争に参加させようとしたのかようやく分かったってだけだ。綺礼、急ごう。急いで日本に帰ろう」 「………」 #名前2#さんはなぜかひとしきり頷いて走り出した。軽いジョグのように見えて歩幅の広い足がしきりに動いてどんどん綺礼とな距離が開く。追いかけようと綺礼も足を動かすがなぜか彼の隣には着けない。不思議な風が吹いて綺礼のことを押し止めようとしているかのようだった。#名前2#という男の背中は、小さかった。