かみ合わない雁たち
その日は畑仕事を手伝って欲しいと言われていたのでそれなりの格好を家でしてから図書館に来た。泥だらけになることは想定していたので司書には1度家に帰れる許可証をもらっている。ここの図書館では司書や#名前2#のような人間のスタッフには情報管理が厳しく働いている。ここの出入りすらも厳しい監視がつくのだ。 ジャージ姿のわけを説明してから中庭に向かうと白樺派の3人が既に集まっていた。おかしい。集合時間の10分前には着いて準備しようと来ていたはずなのに。#名前2#の視線で言いたいことがわかったのか発案者の武者小路は「おはよう、#名前1#! 君はいつも早いので僕らもそれに合わせて早めてみました!」とにこやかに言われた。それなら最初から集合時間を変えていれば良かったのでは、と思ったが武者小路は「俺が」先に来ていることが嫌だったらしい。そうは言われても、と思ったが志賀にさっさと仕事しようぜと言われて切り上げた。 今回の雑用は雑草取りをして収穫をしてという2つだが根気のいる作業なのは間違いない。虫に食われないように羽付きの帽子をかぶりタオルを首に巻き長靴を履いてしゃがみこんだ。太陽の日が照ってしんどいが雑草取りはかなり好きな仕事だ。根っこまで取れるように黙々と作業をする。BGMのように武者小路の笑い声や志賀の叫び声、有島の慌てたような声が聞こえてくる。たまに振り向くが彼らは3人で楽しそうにしていたので邪魔しないようにさっさと仕事することにした。図書館は外壁があるため害獣が入ってこない。空を飛ぶものたちの対策もされていて風に揺られて泳いでいる鷹の凧が見えている。鳥の目よりも効果があるらしいんです!と武者小路が買ってきたのだがいい買い物だった。すごく高かったが。ふと上を見上げる。まっすぐ伸びたトウモロコシは無事に育っていた。映画を思い出すなあなんて思いながらやはり雑草をむしり取る。この細長い葉っぱの植物は根っこが長く広く生えるので取るのが大変だ。スコップでごっそりと土を持ち上げてから雑草をくり抜く。何回もやっているので手馴れた手つきに変わってきた。そんな#名前2#を見つけて武者小路が近寄ってくる。 「うわあー! すごいな、やっぱり#名前1#は!」 「ありがとう」 仕事を褒めてもらえるのは嬉しい。近づいてきた志賀も「おお、やるじゃねえか」と言う。畑仕事は頼まれることが多かったが志賀たちに褒められるのはこれが初めてだった。 大方の雑草を取り終えてトマトやトウモロコシ、キュウリなどを収穫した。食堂に届けようと言っているのでこちらから渡しておくと籠を預かった。1人で持てないことはなかったがかなり重かった。ずりずりと籠を引きずってからこれは白樺派の皆様のものだと考え直す。台車を持ってくる間、これを放置するのは怖かった。誰かが置き去りにしてあるなんて言い出したら大変だ。 #名前2#は仕方ないと必死の思いで食堂に運んだ。重かったでしょう、とパートのおばさま方に言われたが彼女たちはふんっとひと声掛けたと思ったらそのままスイスイと運んでいる。普段からあの米袋を担いでいるのだから当たり前のことなのだが元運動部としてはこの体の鈍りは何とも言い難い屈辱だった。 時たま自分の時間が作れると文豪たちの著作を読むようにしている。好きな作品、嫌いな作品。人並みに好みを作りながら#名前2#も読んでいるのだがやはり1番は学術雑誌の方だった。館長に言われて人文学、国文学と呼ばれている種類の資料を取り扱っているが彼が好きなのはいわゆる天文学というものでそれらの雑誌を見ながらふふふっと笑った。天文学をやる上で計算は必須である。数学系の雑誌を見ながら問題を解いては懸賞金を受け取る。真面目な数学者がいたら怒りだしそうだが#名前2#がこの図書館で働く限りはそんな日は一切来ない。その日は読んでいた本が途中で飽きてしまって心の休息に、と数学の雑誌を開いた。と、ひょっこり狐が雑誌に手をかけてきた。驚いたがそれがぬいぐるみと分かるとすぐにあの童話作家かと思い当たった。 「新美どうした?」 「新美? 違うよ、僕はゴンだよ! #名前2#さんこそ何やってるの?」 新美では無い裏声だった。雑誌を閉じるとあっという声がして小川が膝立ちに恥ずかしそうにいた。 「小川だったのか。珍しいな」 「……貴方は何か難しそうな顔をしていたから」 「ああ、ちょっと問題を解いていた」 「ううん、そこじゃなくて。その……」 小川の視線が動いた。俺も目を向けるとさっきまで読んでいた本。タイトルは赤いロウソクと人魚。小川未明のものだった。たたっと駆け寄る声が聞こえてきて宮沢と新美がやってくる。 「未明、すごい心配してたんだよ」 「僕の作品面白くなかったかなって」 「ちょっと、二人とも!」 どうだった?と新美に聞かれた。俺は悲しい話だと思ったと素直に答えた。それであんなに難しそうな顔をしてたの?と言われてどこの話か考える。だが、自分本位に人魚を売ろうとした爺さんと婆さんは嫌いなタイプだった。実際にこういう人間は昔と同じように一定数今も生きているから困るのだ。 「そう、だったの」 「話は結構好きだと思ったよ」 「#名前2#さん好きじゃないのはずっと好きにならないもんねー」 「代表作じゃないやつの方が好きだったりする」 その典型的な例が永井荷風なわけだが、本人は初期短編はあまり好きではないようだ。俺は耽美主義が好きじゃないのかなと思った時もあったが谷崎の作品は好きだったりするし人間の好みは本当によくわからない。小川は俺をじっと見つめたあと「ほかの作品も読んでみてね」と言い残してゴンを連れて走っていってしまった。待ってよー、ゴンを連れてかないでーと新美が走る。宮沢は俺をじっと見ていた。 「ずーるいんだ」 さて、なんの事だろうか。 学術雑誌の潜書を終えてずきりと体の痛みを感じた。困るのは文豪たちのようにアルケミストの素体で作られていないので現実に戻ってからようやく痛みを感じるのだ。血が垂れるのをみて、自分の服を脱ぎ腕を縛った。家に帰って消毒をし縫い付けないと化膿してしまう。外出用のカードを用意して図書館のスタッフ用出入口に行くと借金、借金とよく言っている石川に会った。また誰かに追われてるんだろうか。石川は驚いた顔で俺を見ている。 「退いてくれないか」 「いや、お前、その傷……」 「? だから家に帰って早く治療したいんだが」 俺はカードを見せたが石川は体をふるわせて俺の傷ついてない腕を引っ張った。突然のそれに足で踏ん張ると石川はドスの効いた声ではあ?と振り返った。 「森先生のところ行くぞ」 「いや、世話になる訳には行かない」 「なんで! そんなでけえ傷そのままにしとく訳に行かないだろ!」 「だから家でやれるから」 「お前、医療知識ってやつないだろ!」 「知識より慣れだ」 「なんだその格言!?」 「北原の言葉」 ああ、あいつか……。と石川は納得している。だが腕は離れない。意識をそらす作戦は失敗した。石川は俺に向かってきたかと思ったら内股掛けで俺をひっくり返しずるずると引っ張った。早く帰らないと残業扱いになる。 「あと5分で話終わらせて帰っていいか? それ以上残業がつくと叱られるんだ」 俺の言葉に石川はまた吠えた。医務室に入ると森が芥川に対して睡眠薬はやれないと言っていた。入ってきた俺を見て2人の口が開く。 「森先生、こいつ家に帰るってきかなくて!」 「残業めんどくさいし帰っていいか」 「! 早く腕を見せろ、締めすぎて腕に血が回ってないじゃないか」 「血で汚したあと掃除するのめんどくさいので」 「そんなの他の奴らに……」 そこまで言って森は黙った。いつも掃除しているのは俺なのだ。他のやつなんている訳が無い。芥川は恐る恐る俺に近づいてきて「大丈夫? 僕、何も出来ないけど」とうろちょろしている。視界にちらちらと入ってくるのが邪魔だった。 「……」 もういっその事窓から逃げてしまおうかと思ったが窓の修理代を払う方が面倒だ。このままサービス残業としてネコに申請した方がいいだろうか。電話貸してくださいと言う前に森は石川に館長に電話をかけるように言った。図書館の事務員が怪我をした。治療に時間がかかる。今日は彼には図書館に泊まってもらおうとそういう話を石川にさせようとするのだ。はい!と大きく頷いた彼は電話をかっさらうと部屋を出た。麻酔薬なんてないぞ、と森に言われて別に今までも使っていないと返す。森はまた顔を顰めた。芥川も森に言われて俺の体を押さえつける。縛っていた服をとられて染み付いていた血が流れ出す。面倒だなあと見ていたら森に「自分がやるからお前は今日は寝ていろ」と言われた。沁みるぞと言われて消毒液がかけられる。さすがに生理的に反応してしまうが想定していたよりも痛くはなかった。煮沸消毒された針と布で縫い付けられる。歯を食いしばり堪える。芥川は途中から気持ち悪くなって俺から離れた。吐くなら袋があると森が指示する。ゲロを吐く音が聞こえた。石川が戻ってきて芥川に声をかけながらも俺を押さえる係を変わった。何とか終わったと思ったら他のところも見てやろうと服をひっぺがされた。傷跡が電気の下に晒される。アカとアオよりもよっぽど表情に出ていた。芥川はさらに吐き気を催したらしい。 「人は、怪我をすると心も怪我をする」 「はあ……」 「君の心はいまどうなっている?」 そんなの俺が知りたいくらいだ。多分生きてるんじゃないですかね、と投げやりに答えると芥川が振り向いて「それって生きてるの?」と聞いてくる。 「少なくとも俺には生きている。お前らは知らない」 突き放した言い方だが森も何も言わない。芥川は吐いたものを服の裾で拭いながら「そっか。私には難しいかな」と笑った。俺と森も噛み合わないがこいつはさらに噛み合わなかった。