舌先三寸・打つは五寸

 それから暫くして神無は元いた女学校の級友が死んだことを電車で知らされた。死んだのはユズキカナコという人で……名前を聞いてもよく分からなかった。神無には興味がなかったのだ。はぁ、はぁ、とまるで赤ん坊のように頷くだけの神無を見て#名前2#はハラハラとしていた。 「神無、何かあったのかい」 「ああ、いえ。何でもありませんよ」  神無は微笑み返すだけで電話を#名前2#に渡そうとはしない。#名前2#は青白い顔を一層青くさせてどうしようかなあと神無を見ていた。  神無からしてみると、自分の近くにその死んだ級友が見えているわけではない。関係ない事だ、とバッサリ切ってしまってもよかったが電話向こうの男があまりにも情けない声を出すので神無は切り捨てることが出来なくなっていた。 「じゃあ、電話ではなんですから。はい。はい」  神無は仕方ないから交番に行きます、と言って電話を切った。 「交番に? 僕は行かなくて平気?」 「はい、大丈夫です。お客さんが来るんですよね」 「う、うん……。でもまあ、依頼の受取だけだし」 「大丈夫ですから!」  ビックリしたのは#名前2#さんだけではなかった。後ろの父と母も驚いていた。私はやってしまったなあ、と思った。でも何か言うことが出来なくて私はカバンをひっつかみ慌てて外に出てきた。  外を歩いていたらよく分からない男の人に出会った。薄っぺらくて細長い人だった。私はその人に飴細工というあだ名をつけた。飴細工は少女の幽霊を引き連れてえっちらおっちらと揺れるように歩いてきた。そして通りすがりの私を見てなぜか彼はニヤリと笑った。ああ、気持ち悪い。私は彼の視線から逃げるように交番へと急いだ。  交番にいたお兄さんは冴えない顔をしていた。情けない声に見合った顔つきだった。死んだ加菜子が自殺ではないかと念の為調査をしているらしいのだ。私は素直に彼女とは仲が良くなかったことを話した。すると、彼は「あんまり大きな声では言えないんだけどね」と前置きしてそっと一葉の写真を取りだした。 「柚木さんの制服のポケットからね、出てきたそうなんだよ」  それは私が友人と喋っているところを隠し撮りした写真だった。  私はそれが証拠品だから手渡せない、と言われててとぼとぼと家に戻った。あの写真は神無がまだ女学院生徒であった頃に撮られたものだ。家から勝手に持ち出したのだとおきゃんな少女が手当たり次第に写真を撮りまくった中の1枚である。隠し撮りをされたと気付いた神無は「一緒に撮ろうよ」と声をかけた。上手く撮れているか分からないが、と友人が声をかけてくれたので二人で写真を撮った。おきゃんだったあの子は先方の意向で既に学校は辞めている。写真ありがとう、と泣いていたことを思い出す。神無は女生徒に好かれていたのだろうと思った。だが、なぜこの1枚を彼女は持っていたのか。それは神無には推し量ることしかできない。    依頼人に靴を渡して#名前2#はようやく一息ついた気分になった。姪は娘のように思っていても向こうは自分を叔父として見ているし父親振る舞いをしていいのか自分でもよく分からなくなっていた。  詰まった頭ではつらい、ともぞもぞと歩いているときに電話がかかってきた。相手は関口だった。従軍中に友人になった男だ。作家となり、今もいろんな雑誌に書いているらしい。正直言ってすごく面白いかどうかは言えないのだが……。まあ、よき友人である。関口はなんだか焦ったような声を出していた。 「え? なに?」 「つまり、ねえ。これから中禅寺の家に行くんだけれど君も来ないかい」 「……一体今度は何に巻き込まれたんだい」 「巻き込まれては、ない、と思うんだけど」 「でもまあ、いいさ。分った、一緒に行く」 「ほんとうかい!?」  電話越しに何度も頷いて#名前2#は受話器を置いた。関口という男はよくないものに魅入られる傾向があった。話を聞く限り、何だか自分も巻き込まれそうな予感がする。  こういう時は仏壇に経をあげ、気持ちを落ち着かせるのがいい。#名前2#はぱたぱたと自分の般若心経を持ってくると畳の上に正座して仏壇の前に座った。駆け落ち同然に結婚した兄夫婦は死んだあとの墓について向こうの家と問題を起こし、結局遺骨は#名前1#の家の墓に入れることにした。姑、嫁で仲良くなれるかなあと心配しながら見送ったはずなのに、兄は戦争の最中で呆気なくも亡くなってしまった。#名前2#はいま、ひとりだった。  経を読みながら#名前2#は「そういえば、」と考える。自分は今は神無がいる。1人ではない。大切な家族がいる。そう考えると#名前2#の未来はとても明るく感じた。 「ただいまあ」  神無の声がする。交番から帰ってきたのだ。#名前2#はふと、関口の話は黙っていようかと思った。彼女一人を留守番にさせるのは良くないのではないか。それよりも、二人でどこか店にでも行ってみようか。そんなことをぐるぐると考えた。だが、神無はいつも通りに玄関に来た#名前2#を見て「私、変なものを受け取ってしまったの」というのだった。 「え?」 「なんか……うん、呪いの一種なのかしら。違うかな……」  #名前2#はあわてて娘の腕をつかんだ。ぐうっと彼女を見た後「本当に、大丈夫かい? そういうことが得意なやつがいるんだ」と話しかけた。  神無には彼がなんでそんなに怖がっているのか分からなかった。うん、平気とうなずくのみだ。 「……。しょうがない、神無。お前もおいで」  何がしょうがない、なのか神無にはさっぱりだった。  自転車に揺られながら神無はどこに行ってるのかなあと考えていた。#名前2#は自動車を他人に借りる生活で生きているため、彼の普段の移動は自転車なのである。自転車でこんな風に揺られる経験は神無にはなかった。ごめんね、神無の分も用意するからと#名前2#は言ったが神無は叔父にしがみついて自転車を漕いでもらうのも悪くないなと思っていた。  どれほどの時間揺られていただろうか。見る光景がイチイチ新鮮でとても楽しかったのに、段々と裏ぶれた場所になって終いにはよく分からない坂道にたどり着いた。 「ここを登るんだ、自転車に乗っていられる?」  押してくよ、と#名前2#が言ったが神無はそれを断って自分も一緒に歩くことにした。これからは彼と一緒に歩く生活になるのだ。それでも体力のない神無は中腹で疲れてしまった。交番の行き帰りもあってか彼女はひぃひぃと息を吐きながら上るようになった。辛いだろう、と#名前2#は神無を自転車に乗せた。神無は断らなかった。  坂道を登りきったあと、京極堂という看板を見つけた。 「ここは?」 「知り合いの古本屋だよ」  へぇーと神無は頷く。神無には幽霊となった父が[変な場所だなあ]とキョロキョロと動いて壁をすり抜けていった光景が見えていた。意図せず偵察係になってくれている。母は#名前2#さんにくっついたままあらまあ、と見ていた。  とたとたと小刻みに音を鳴らして男がやってきた。ぬぼぉっとした男で神無は心の中でサンショウウオというあだ名をつけた。男は黒い霧がきらめく男だった。 「関口」 [関口。]  父と叔父の声が重なって聞こえた。サンショウウオは関口という人らしい。 「いつの間に奥さんに?」 「千鶴子さんは出かけてるんだ。京極堂が、君が呼んだんだから君が迎えに行けって」 「なんだそれ」  #名前2#がこんなにあどけない笑みを浮かべるとは思わず神無は思わず凝視してしまった。関口という男はそんな神無が気になるのか「この子が?」と早速聞いてくる。 「ああ、姪の神無だ」  姪。と、後ろには父も母もいます、とは言わずに神無は頭を下げたのだった。