紙片の恋
それは一通の手紙だった。#名前1##名前2#さまへ、と何度も書き直したであろう宛先が書かれた手紙だった。その手紙は俺宛ではなかった。 世間ではラブレターを書く人がどれくらい残っているのか考えたことはない。というより、今の少女漫画でもそんなの見たことない。俺は少女漫画は知らないが、少なくともいつも若手俳優コンビが演じる少女漫画の映画ではラブレターはついぞ見たことがない。むしろラブレターっていつの時代なの?と思うくらいだった。うちが扉付きの下駄箱だからよかったものの、まさかそうじゃなかったらラブレターは下駄箱には入れないだろう。モヤモヤと考えてしまうが、教師の下駄箱にラブレターが入っているという事実は想像以上に自分を悩ませたのだった。 「#名前1#先生、あんたに手紙が来てますよ」 昼休憩にそれを渡すと#名前1#は「は? 手紙? なに?」とおっかなびっくり受け取った。可愛らしい青空と白い雲の描かれたラブレターはようやく行き着く場所にたどり着いた。牛丼の汁がかからないように手紙は恭しく受け取られた。 「ラブレターじゃないんすか、それ」 「えっ、いやいやいや。黒河先生何言ってるんですか」 「えっ、逆に#名前1#先生はなんだと思って受け取ったんですか」 #名前1#先生は顔を赤らめて「や、やっぱり、ラブレターなんですかね」と口をもごもごとさせた。 「でしょうね」 #名前1#先生にラブレター。似合う。予想以上に似合う。牛丼の匂いが漂うベンチで俺はサンドイッチを取り出した。いつも買ってるフルーツサンドとえびカツサンド。#名前1#先生とはひと口交換する。 「そっかあ、今の人でもラブレターとか書くんですねえ」 「俺もびっくりしました」 二重の意味でびっくりした。 「それにしても、なんで俺宛のやつが黒河先生のところに来ちゃったんですかね」 「さあー」 それは俺にも分からない。もしかしたらラブレターの送り主が緊張のあまり間違えたのかもしれない。もしくはうっかりさんとか。俺が間違えた可能性を羅列すると#名前1#先生は「うんうん」と頷いていた。 「俺もうっかりして個人情報保護シール貼り忘れたままハガキ出したりとかしちゃいますんで似た者同士なのかも」 「それかなりマズくないですか」 「あっ、やっぱり!? あはははは」 #名前1#先生は顔を赤くさせて頷いた。 俺は手紙の送り主らしき人物を実は知っている。予想外の人物だけれどきっとコイツだと思う。むしろ、コイツであってほしいと思う。もしコイツじゃないとしたら、やっぱり世界は漫画のようには行かないのだと思い知らされるだけなのだが。 授業を真面目に聞きもしないでぼーっと空を見ている男子生徒。荒北靖友はなぜか#名前1#先生の時にだけ真面目に授業を受けている、らしい。俺も見たことがある訳では無い。授業がない時間だからといって教室内の見回りなんてしないし、無闇に歩き回ることもない。ただただ#名前1#先生から「荒北ですか? あいつ、真面目ですよ。テストはちょっと空回りしますけど」と聞いているだけだ。荒北靖友にとって#名前1#先生は特別なんじゃないかと思う。いじらしくて可哀想で何だか切なくなるやつだ。先生と生徒の恋物語は少女漫画のように甘酸っぱくはない。現実は壁にぶつかる厳しいものだ。未成年の壁も、教師としての壁も、世間体という壁もある。不可能ではないものの、ほとんど不可能に近いのが教師と生徒の恋である。荒北とてそれが分からないわけではないだろう。ましてや男同士。さっきの障害に、また壁がひとつ追加された。 職員室で2人で学生時代の思い出を語っていた時、荒北は別の教師に呼び出しをくらっていた。#名前1#は笑いながら自分が憧れた教師の話をした。#名前1#は本当にその先生が好きだったらしく、先生がやめる時には好きだと思ったところを手紙にしたためて渡したらしい。やる気あんなぁ、と思ったが#名前1#は「それしか出来なかった」と笑った。 「教師と生徒ってさ、仲がいいようで壁があるじゃん。本当はメルアドとか聞きたかったけど絶対に無理だって分かってたし」 気持ちを伝えるには手っ取り早く手紙がいいなって思ったんだよ、と。#名前1#のその時の笑った顔はよく覚えている。肩越しに見えた荒北の顔も。俺は何となく大変な二人だな、と思った。 この二人の関係性は俺にもよく分からない。二人が廊下で会話しているとき、何だか漫画で見たような光景ではあった。二人だけの世界と言うのだろうか。そういう空気感があった。だから俺は#名前1#先生はきっと荒北たちが卒業したらきっと何かあるんだろうと思っていた。 2年後。#名前1#先生は荒北靖友の姉と結婚した。彼女は箱根学園の生徒ではないそうだ。つまり、あそこでの会話は義兄と弟の会話だったということらしい。俺は勘違いしていたのだ。恥ずかしい。結婚式の披露宴には俺も呼ばれて恥ずかしさを堪えながらも出席した。荒北靖友もちゃんと来ていた。 途中トイレに行くと廊下の休憩用ベンチに荒北が座っているのが見えた。向こうも俺に気づいたらしく「黒河センセー」と名前を呼んだ。 「おめでとう、お姉さんのこと」 「………あざいます」 荒北は何だか嬉しくなさそうだった。教師と家族になったら面倒か、と笑いながら言うと荒北は「ッスね」と泣くのを我慢した顔で返事をした。 俺はついつい「あのラブレター、お前のじゃなかったのか」と言ってしまった。デリカシーのない言葉だったと思う。ラブレターかどうかも知らない、ただ間違えられて入れた手紙なのに。荒北は「あぁ」と軽く頷いた。 「あんなん、ラブレターでもなんでもないっすよ」 「そう、だったのか」すまん、てっきり……と俺は誤魔化すように笑った。荒北は歯を見せて笑った。 「なんで俺じゃなくて姉貴だったのっていう、恨み言なんで」 荒北はそろそろ席に戻るか、と立ち上がって行ってしまう。恨み言。そう言うにはあまりにも丁寧な手紙だった。 その手紙を入れていいか自分でも考えていた。先生の好きなところ、先生が好きだということ、姉貴と結婚したらやばいということ。色々と伝えたいこともあったのに自分は何度も何度も書き直して結局一言しか書けなかった。自分で買ったレターセットは書き損じのせいで無くなってしまい、姉が小学生の頃にペンフレンドと交換していた自分には似つかわしくない青空と白い雲のふわふわしたそれに書きつけるしかなかった。 「婚約おめでとうございます。 荒北靖友」 たったそれだけの言葉しか書けなかった。好きだった気持ちも、恨めしい気持ちも、全て詰め込んだ。祈るような気持ちで手紙を折った。封筒にしまい、ノリをつけて慎重にシールも貼った。 これを本当に渡していいのか分からなかった。ひとつ隣の黒河聖という文字を見てなぜか自分はそこにしまいこんだ。渡されても、捨てられてもどうでもよかった。 「………。先生、俺、本当に好きだったから」 一言、口に出したそれは床に落っこちて消えてしまった。