ラッキーアイテム:手紙

 封筒が机の上に置いてあった。上には一二三のメモ書きがある。「なんか入ってた! 独歩ちん宛だったよ!」と元気なそれとは対照的に観音坂独歩という名前を書いた伝票の文字は震えていた。  開けてみるとそこには折りたたまれたぐしゃぐしゃの紙と、綺麗に3つ折りにされた紙とがあった。呪いの手紙か何かだろうか。怖くなり、ピンセットと掃除用のゴム手袋を持ってきて綺麗な方から開いてみた。カミソリなどの危険なものは入っていなかった。そこにはパソコンで打ち込んだのであろう機械的な文字が丁寧な言葉を並べていた。そこに書かれていたのは送り主、#名前1#スミレの夫である#名前1##名前2#の遺言通り手紙を観音坂独歩にお送りしますということだった。どうやら葬式は家族葬だけだったらしく、その他に葬式に呼べなかったことを謝罪する文章がつらつらと流れていた。  #名前1##名前2#。それは、独歩の2年間のクラスメートであり、当時の憧れの人だった。彼は転勤族というもので、中学2年という微妙な時期に彼はやってきた。クラス替えが行われたばかりで、一二三と分かれてしまった自分はただでさえ気を張っていて転入生のことなど気にしていられなかった。それは周りでさえも同じだった。誰と友達になるか探る時期だった。彼はそんなクラスの雰囲気が分かっているのか、それともそういう気質なのか真っ直ぐ立って前を向き「#名前1##名前2#です」と自己紹介をした。あの時の彼はどんな顔をしていたか。よく覚えているのはその切れ長の目がクラスを見下ろしていたことだった。    #名前1#はすぐにクラスに溶け込んだ。いや、彼の言葉に洗脳されたと言う方が正しい。彼は正しさをなす人だった。未来を考えているのではない。その一瞬、一瞬の中で自分の最善を考えてその人に教えるのだ。クラスメートたちは彼の正しさに魅了された。彼は近寄ってくる人を微笑みながら受け入れた。ようこそ、と口にしているもののそこにはやはり相手を下に見たような意味が含まれていた。  彼を怖がったのは中学時代に周りに合わせて鬱屈した気分を晴らしたいと考えていた面々と、独歩のような臆病から避けている者たちだった。しかし、次第にその数も減っていった。#名前1#の清らかさをもったその生活に耐えられなくなり平伏したのである。悲しきかな、独歩もまたその1人であった。独歩は他校の生徒に絡まれていた時に#名前1#に助けて貰ったのだった。情けないことに涙が零れた。怖くて動けなかった。#名前1#は手を差し伸べると「大丈夫か」と声をかけた。その微笑みは美しさをもち、本気でこちらを心配しているかのように見えた。それまでの怯えはどこにいったのか、独歩は彼の手を取り立ち上がった。 「ありがとう」  その一言を言うのでさえも手間取った。#名前1#は黙って待っていた。聞き届けると「どういたしまして」と笑った。  その時から独歩は彼を見つめるようになった。クラスメート達とも仲良くなれたがふとした時にすぐに#名前1#を見つめてしまう。周りからはいつも日下さんを見ていると笑われた。日下というのは#名前1#とほとんど一緒にいた女生徒だった。独歩は日下のファンという名に隠れて#名前1#を見ていた。  彼とはそんな調子でほとんど話したことがない。話したいと思っても周りの言葉に流されると彼の元にはどうしても行けなかった。すると#名前1#は悲しそうな顔でこちらを見るのだった。自分を本当に見ていたかどうかは関係ない。独歩自身がそうであってほしい、と願った視線だった。それが何とも仄暗い感情を独歩に持たせるのである。自分を見てくれているのだ、という優越感に独歩は1人で浸った。  ある日、彼が珍しく1人で図書室にいた。そっと近くに座ると「観音坂」と声をかけてきた。独歩は努めて平坦な声になるように「なに?」と聞いた。たった2音発するだけなのにとても怖かった。 「……。何、読んでるのかなって」  彼は絶対に何か違うことを言おうとしていたはずである。それをわざと避けて言ったのは何だったのか。独歩は期待した心をわざと隠して自分の持っていた本のタイトルを教えた。面白い?と彼は話を広げてくれたが独歩はまだそれを読み始めたばかりで面白いかどうか簡単には言えなかった。彼の正しさが独歩にも浸りこんでいておいそれと言葉に出来なくなっていた。 「……読み始めたばかりで」 「そっか、ごめん」  彼はそのまま手元の本に視線を移してしまった。ハッとした。失敗したのだ。あ、と独歩は何か言った気がする。#名前1#はもう独歩の方を見なかった。  そのあと、独歩は#名前1#が他クラスの女生徒と結婚したことを知った。あの時の張り裂けるような胸の痛みと苦しみとはきっと彼に抱いていた幻想や淡い期待が打ち砕かれたせいだった。独歩は確かに彼のことが好きだった。  卒業式の前日、彼らが別れたというスクープが瞬く間に広がった。その時は随分と傷も癒えたと思っていたのにまたグサグサと何かが突き刺さった。一二三にまた愚痴ってしまうことを予感して唸り声が出てきそうになる。#名前1#はすました顔で学校に来た。どうして別れたのという女子の声、彼の正しさを信じて「他に好きな人でも出来たんですか」と聞いた信者の声。色んなものが彼にかぶさった。 「俺、高校はまた転校することになりそうなんだ」 「え……」 「遠距離恋愛できるほど、しっかりしてなかったよ」  それは誰の話なのか。ただ、#名前1#はここらのどの高校にも行かないのだ、と分かってそれだけが苦しかった。  卒業式を終えたあと、独歩は親のカメラを借りてそっと1枚の写真を撮った。桜を撮りたかった、と言い訳すればいいほどの距離。小さく写りこんだ彼を確認してシャッターを切った。それがこの思いの最期だった。  独歩は回想するのもおざなりに彼からの手紙を開いた。その手紙で自分が泣き崩れることになるとも知らないで。  観音坂独歩様  突然のお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。私のことは覚えておいででしょうか。#名前1##名前2#という、あなたの中学時代のクラスメートです。私は中学二年の春にあなたのいるクラスに転入しました。私は度重なる転校に左右されないよう、自分を成長させることが目的としてありました。それはあなたもご存知のように、私には正しさという一種の定規をもとに生きておりました。正しさはどの土地に行っても変わらず私を守ってくれるものでした。私はその正しさのために色々なものを捨てました。人に嫌われることを恐れる心、真っ直ぐ立つことを恥ずかしがる心、自分から擦り寄りたい気持ち。そんなものを私は捨てました。私は子どもらしくない、と言われました。そうでしょうとも、と思います。私の正しさは大人になっても持ち続けてしまう弱い部分を切り捨て強さを得ていたのです。強さこそが正しい。そしてその正しさは倫理によるものです。規範によるものです。私は、そうあるべくしてそう在りました。私のことをこんなにも語るのには、ここからの話に意味があるのです。  正直に言いますと、私はあなたのことが好きでした。あなたが私から離れた距離で私の正しさを測ってくれたから。私は私を見失わなかった。(本当に不躾で申し訳ありません。もし不快に思われたならこれは破り捨て燃やして捨ててください。)最初は感謝の気持ちでした。ですが、それも突然言うわけにいかず、あなたを追いかけました。あなたの色々なことを知りました。幼なじみと仲がいいこと、自分の芯を持っていること、争うことは本当は好きではないこと。小さなことが積み重なり私はいつの間にか好きになっていました。人生であなたより好きになった人はいません。だって、学校という同じことばかり起きる世界で、あなたと一緒と言うだけで私は楽しかったのです。しかし、たったそれだけの事で私は自分が怖くなりました。今まで捨ててきたものの中に恋も愛も入っていたはずなのです。それを捨ててまで私は正しさを求めていたはずなのに、私はいとも容易く貴方への恋に落ちました。最初の頃はわざと何も無い振りを装っていました。それもいつか、人にバレました。日下瞳美さんは私に言いました。男が好きなんて気持ち悪いわ、と。私は同性愛者を嫌うことはありません。それがその人の在り方なら罪ではないと思っています。しかし日下さんにとってはそれは罪悪でした。日下さんは私に脅しをかけました。観音坂独歩に手を出されたくなかったら付き合って、と。彼女とは何度も話し合いました。彼女はわざとらしく私の傍に寄り添いました。あれは醜い女でした。顔は綺麗に見えたとしても高潔さも純粋さもありません。  私は彼女と付き合い始めました。もしかしたら、私はあなたへの恋心を消せるかとそう思ったのです。ですが、それは到底無理な話でした。結局私は今まで好きだ愛しただのを簡単に考えていたのです。  高校でまた転校すると言ったのは運命というものなのでしょう。私は貴方から離れなければならなかった。私は大学生の間に婚約者が出来ました。向こうから私を指定しました。私は今、結婚式を挙げようとしています。それが私たちの規則なのですからそれは仕方ありません。ただ、私は自分の正しさに沿ってあなたに伝えておきたかった。  ありがとう、観音坂独歩さん。私は貴方に出会えて本当に良かった。 敬具 #名前1##名前2#  墓の前には一人の女性がタバコをくゆらしていた。丈の短いタイトスカートに、薄いブラウス、緩いパーマのかかった髪の毛は彼女によく似合っていた。 「……あら、もしかしてここの?」  彼女はここ、と#名前1#家之墓と書かれたそれを指さした。 「…はい」 「そう………。どうぞ」  彼女は横にずれてまたタバコを吸っていた。線香を置き花を飾る。女性はじっと独歩を後ろから見ていた。 「……。本当はうちのお墓に入ればって言ったのよ」 「はい」 「でも、彼は私に苦笑いして言ったわ。自分は#名前1#家の長男だからって。私だって長女よ、あいつと一緒の立場なのは…変わらないのに」 「……」 「苗字だって、私の家のを使えばいいのに。公平にあみだくじにしよう、って。彼ってば真面目に書き出すんだもの、笑っちゃったわ」 「……#名前1#らしい、ですね」 「………。彼は、公平な人だった。正しい人だったわ、あなたが関わってなければね」  ふっと彼女はタバコを携帯灰皿に押し付けた。灰すらもそこに入れるので不思議な気分で見ていた。彼女の姿とその品のいい仕草がちぐはぐとした印象を持たせていた。 「彼に教えられたの、携帯灰皿を持てって」  それは、確かに#名前1#が言いそうなことだった。彼女は独歩の言葉に頷くとそのまま立ち去ってしまった。彼の愛情はよく分からない。独歩はもう会うことも許されない彼の墓石に向かって「クソ野郎」と呟いた。涙はまだ止まらない。