いなくなっちゃいそうな夜のこと
起きたとき、そこは肌が焼けるような暑さとよく分からない匂いをかいだ。気づいたら俺はバルコニーの手すりに手を置いて遠くの砂漠を見ていた。どこだ、ここは。熱気で鼻が痛む。じっとりと湿る肌をなでて手すりから離れた。ここは……ここは、熱砂の国だ。それは分かるのに俺は自分の家はここじゃないと言っていた。見知らぬ褐色の肌も着ている服も俺の体に何かが起きたのだと示していた。 「#名前2#?」 名前を呼ばれた。俺の名前じゃないのに自分の名前だと思った。俺の名前は一体なんだったか。それすらも曖昧になっていた。後ろを振り向くと黒髪のちいさな男の子が俺を見ていた。生まれたときから従者として俺についてきているジャミルだ。全く知らないのに俺は彼がジャミルであると思ったし、自分を呼びに来たのだと理解できた。どうしよう。自分でもびっくりするのだが、ちまたで流行りの異世界転生をしてしまったのかもしれない。 俺は#名前2#・アルアジーム。アルアジーム家の長男だ。成金というか、馬鹿の金の持ち腐れというか。とにかく俺はアルアジームの財宝をより大きくするため、アルアジーム家の長男として家を継ぐためお抱えの従者がいるのだ。ジャミルの家は先祖代々俺の家に仕えている。一般人にはよく分からない「主従の関係」だ。戦国時代の武将じゃなくてよかった。下克上なんて言葉はここにはないだろう。 「今戻る」 ジャミルの横を通り過ぎて家の中に入るとちゃんと自分の部屋への行き方もわかった。広すぎる家だと思った。無駄にある部屋は従者たちもここに暮らしていることを教えてくれた。「#名前2#、まて」とジャミルが呼び止めたけれど無視した。今は飯を食べる元気がなかった。自分の部屋に行くと予想通りちゃんとしたベッドがあった。横たわるとすぐに眠気が襲ってきた。異世界転生ってもっと大変なものだと思ってたのに。いや、ここがどんな異世界なのか少しだけ分かってるからかもしれない。 おかしい。自分が働いていたときの苛立ちも大学時代も高校生活も覚えているのにちゃんとここまで成長した記憶がある。そしてそれはグチャグチャになり自分に襲い掛かるということもなかった。俺は素直に記憶を受け入れていた。とても不思議だったけれど眠気には勝てなかった。どっと疲れていた体はすぐに眠りに入った。 しかし、すぐに目が覚めた。寝苦しい夜というもんじゃない。暑苦しくて喉が渇いて仕方ない。何も食べてなかったのか腹がきゅうきゅうと音を鳴らしていた。どうやって寝ればいいんだろう。分からない。起きてキッチンに行こう。アルアジームの人間が食材を借りたとあれば……怒られるのは怒られるだろうな。その時にはその時だ。 キッチンにまで行くと明かりがついているのが見えた。中を覗き込むと「#名前2#? 起きちゃったのか?」とジャミルが何か準備をしている姿があった。俺の食べるものはすべてジャミルに作ってもらっている、と思い出した。もう深夜だろうに作ってもらうのは申し訳なかった。自分で作っても毒が入るとかあるのだろうか。貴族でもなんでもないし、俺のイメージする毒殺なんて殺し屋やスパイのものしかないのだ。作ると言ったらジャミルも怒られるだろうか。 「……。手伝う」 「え、いいよ。寝てろよ、明日はまた早いんだぞ」 「寝れないんだ」 「ええ?」 「寝苦しいんだ」 水を飲んでから手を洗った。食材を扱う前には手を洗うことはしっかりしないと。ジャミルは俺を見てめんどくさそうな顔をしたが、サラダづくりのためのゆで卵をつぶすように言った。それ以上のことだってできるぞ、おい、とツッコミたかったがこの体は全く慣れていなくて四苦八苦した。マヨネーズときゅうりをいれてサンドイッチにはさむための具を作る。あんまり寝れないなら何か食べていくか、と言われて冷蔵庫にあったあげたパンの耳をもらった。うまい。 「ありがとうジャミル」 「……いや」 ジャミルは俺をじっと見ていたが何も言わなかった。挨拶くらいしろよ、と思いながらおやすみと言ってキッチンを出てきた。腹がたまったおかげで寝ることができたが毎日こんなことはできない。さっさと記憶が消えて寝れるようになりたかった。 #名前2#は自分の妹が自分の代わりに毒を食らい半身不随になったとき、心が固まってしまった。遠い目をして国を見つめてため息をついた。俺はそんな#名前2#にどうやって話しかければいいのか分からず名前で呼ぶことしかできなかった。#名前2#はゆっくりと振り向いて俺を見てちょっと眉をあげた。今までの明るい笑顔は封印されてしまったかのようだった。あの笑顔がなくなり、わがままが無くなり。自分に快適な生活になったはずなのに#名前2#が遠くを見て物憂げに何かを欲しがるのは見ていて気分が悪かった。俺は#名前2#に勝ってはいけない。#名前2#と同じくらいの力で我慢し、主人をたてなければならない。なのに、#名前2#は俺のことなんかどうでもよくなったみたいにしていた。俺が、ジャミル・バイパーが#名前2#・アルアジームに勝っても負けても。悔しがるとか励ますとかなにもなかったのだ。俺はここにいる。あんたもここにいる。たったそれだけの事を叫んでみたくもなった。#名前2#はそんな俺を見てきっと小さく微笑むだけなのだ。ジャミルは元気があっていいなあ、なんて笑うのだ。すぐに壊れる笑顔の仮面なら見たくない。俺は、ただ、#名前2#に自分を見てほしかった。隣にいる俺を、従者の俺を、ただの置物ではなく人間として!! #名前2#に昔みたいに笑ってほしい。そう思って色々と誘ってみるものの#名前2#は顔を動かさなかった。俺に対しても昔のようなワガママは言わなくなった。おとなしくなり、人を助け、食事をして、少しの運動と勉強をする。#名前2#は自分のことをデクノボーと呼んでいたが、それが本当だとしたら俺の両親はどうなるんだ、と思った。こびへつらうことで自分の立場を安定したものとしていたあの二人なんて。#名前2#は俺の両親の忖度を見て「ジャミルは好きにしてろよ」と言うだけだった。お前に勝ってもいいのかなんて言っても「ジャミルならできるだろ」と言うだけ。それだけしか言われなくて俺は自分の存在意義がわからなくなってしまった。俺は、お前に勝ちたいしお前に負かされたいのだ、と。そう言えたらどんなによかったのだろう。 #名前2#は勉強が相変わらず苦手のようだったがなんとか食らいついていた。というよりも、インク壺とペンで書くことに四苦八苦していたような感じだったが。途中からは「調べるのは楽しいな」と弟妹たちと家の書斎に入り浸り本を読みふける始末だった。#名前2#のため、と俺もついていくと「別にいいよ」と断られる。そういうわけにもいかない。ついていかないとバイパー家の方にしわ寄せがくる。俺の言葉に#名前2#は諦めたように笑った。そんな笑顔が見たいわけじゃなかった。 アルアジーム家お抱えの家庭教師も喜ばしいですと笑っていたが#名前2#は教え方が下手じゃないかと文句を言っていた。自分の方がよっぽどうまく教えられると言うのでやらせてみたらそんなに変わらなかった。ただ、昔のようなワガママというか自分はなんでもできると笑う姿は微笑ましかったがどこか遠い存在に感じられてしまった。 富豪であるのは父だから、と#名前2#は机上でやる勉強よりも外を見ることを楽しんでいた。俺の生家に行きたいと言い出した時は驚いたけれど#名前2#はゆっくりと家を見てまわり楽しそうに食事していた。本当はもっと家の外で遊びたかったと言われたときはどうしようかと思ったが俺の家で我慢したらしい。#名前2#はアジーム家の後継者として正しいのかどうかはよく分からないが、理想を抱える姿は嫌いじゃなかった。むしろ好ましいとさえ思っていた。#名前2#が苦手なら自分が助けよう。そう思えた。 あの冷えたような正確をしている#名前2#が少しだけ興味をもったのはブレイクダンスだった。宴のときにやったら楽しいかな、ってと彼が言うので俺も一緒にやった。#名前2#より俺の方がうまくなったが#名前2#は俺を見てようやく笑った。 「ジャミルの方がうまくなっちゃったなあ」 穏やかで、どこか冷たさのある笑顔だった。昔の#名前2#とは違うのだと思った。#名前2#、と名前を呼ぶと彼はまた冷たい目線に変わった。熱砂の国には似合わない、いや月の男と思えばむしろ似合っているのだろうか。もうこういう男なのだと考えるしかなかった。それを受け入れるしかないのだ。 「#名前2#が、嫌がるなら俺はこれ以上練習しませんよ」 口が勝手に動いていた。#名前2#が嫌がってダンスをやめてしまうのなら俺はすぐにやめる。一緒に遊べる、何か新しいことを考える。#名前2#はきょとんとした顔で「いいよ、そこまでしなくても」と俺に近づいてきた。小さな身長なのに俺はこの人には勝てないだろうと思った。俺の方が強いのは確かだろうと思うが、それでも#名前2#という男の命令を聞きたいと思った。こいつが俺のことを望んだときに自分はきっと何もかもをささげる。俺のことを見てほしいと乞い願ってしまうだろうと思った。俺の顔を見ては苦笑いで顔を横に向けた。 「……ジャミル、いい。俺にそんなに期待しない方がいいぞ」 #名前2#のその言葉は自分のことをまるでさげるような物言いで俺はやめてくれ、と思った。#名前2#は、あんたは、すごく頑張ってるんだ。俺は、あんたに仕えることができて嬉しいんだ。期待するのも当たり前だ、あのアルアジーム家の長の1番近しい人になれるなんて、願ってもない栄光なんだ。何かが心の中で渦巻き、我慢のための壁を壊していく。 この人には、全て捧げたのに。あとは何を捧げれば俺のことを信頼し、重荷を分けてくれるのだろう。いくら言っても、行動してみせても、#名前2#の目の奥には俺の知らない何かがある。その何かがわからないのに、ひどく、羨ましかった。 「……。風が強くなってきた、帰るのが危なくなる。急ごう、ジャミル」 「はい」 #名前2#の背中にすがりつき、教えて貰えるのなら自分は今すぐにでもやってみせるのに。 主人公 すこし潔癖症の介護職についていた男。認知症になってめんどくさい大変な老人の相手をしていたのでワガママとか言わなくなったし顔の筋肉も動かなくなってしまった。ツイステについては全く知らないが電車の広告でイケメンたちがなんかやってるなあぐらいの認識はある。