死んだ後でも生き続けたい
献身的な恋をしたことがあるだろうか。自分にはあった。自分には彼女しかいない、と思ったし彼女との人生は幸せだった。その生活に「穴がある」だとか「寂しい」だとか「物足りない」と思うことは一切なかったのである。 自分はここに来る前の人生にとても満足していた。だというのに、目の前にいる男は俺の人生を「なにかおかしい」と断定した。 「 、君は……君には僕の声は聞こえないのか?」 「いや、あの、ホームズさん。俺はそんな名前じゃないし、ちゃんとアンタの声も聞こえてますよ」 男はなにか声をかけようとしてそれでもその手を前に出すことは無かった。 少しだけ自分のことを考えてみた。過去の自分と今の自分は同じでは無い。前世に引きずられて「○○さんが好き」と思ったことも無い。今の自分を自分たらしめているのは無数の宇宙を形づくる原子であり幼い頃からの経験であり思案であり、そして父と母と妻とあと色んなものから受け取った愛である。 妻が事故で亡くなったあと出てきた訳の分からない記憶なんかに俺は左右されなかった。むしろその思い出は自分が自分たるために必要なものであるとさえ思った。過去の自分と今の自分は違う。一瞬を終えて新しい1秒に出会う度に自分は新しい俺へと更新されているのだ。 哲学的なことをつらつらと考えていたが、つまりそんな理由をつけてまで#名前2#は目の前にいる男が嫌っていた。そしてこの考えを見透かしてもなお微笑みかけて#名前2#には聞こえない言葉で自分を呼ぶことが嫌いだった。 #名前2#は巷で噂の異世界転生をしていた。チートもなく、魔法もなく、神様もおらず。気づいたらよく分からない場所にいて、そしてまたよく分からない場所に連れてこられた。こんな異世界転生を小説にしても面白くないだろうなと思った。前にいた場所は藤丸くんに聞いたところ、ちょっとデス進化した新宿で、今いるのはカルデアという安全地帯らしい。カルデアは科学と魔法とがごちゃごちゃになったような場所だった。 極小ブラックホールを作り中に人を送り込み特異点とかいうところに送ってるのかと思ったが違うらしい。奇妙な事だ。ワクワクこそすれど解けないまま受け入れるしかない謎が嫌いだ。次第にカルデアという場所も嫌いになってしまいそうで仕方なくパソコンを至急してもらった。ネットに繋ぐなと言われたのでペイントソフトで、マウスを使って絵を書いていた。暇すぎて、かといって仕事もなく、自分にはそれくらいしかなかった。 食事は毎回させてもらっている。このカルデアでは新しい人が突如として増える。藤丸君いわく、みんな英雄として逸話を残したりしているらしい。異世界転生っぽいと思ったけどそれら全てをしたがえる藤丸くんはやたらと平凡な男の子で、もしかして彼の異世界転生に俺は巻き込まれたのではと思うくらいだった。 藤丸は#名前2#に懐いていた。同じ日本人ということもあるし、カルデアを出た時自分は受験生となる。等身大の会話をする男を見てすぐに横にいるのが心地よくなってしまった。だが自分が横にいるとあるサーヴァントが藤丸の方に嫉妬して突っかかる。そして喧嘩が始まる、というのがいつもの流れだ。カルデア、もといかのサーヴァントは保護と主張しているが拉致、ということばが正しいのかもしれない。もしサーヴァントに法律が適用されるなら、の話だ。藤丸は目の前の青年とサーヴァントの言い争いを見ながら毎日よくやるなあ、と思っていた。 男の名前は#名前1##名前2#。藤丸と同じ日本人だ。新宿から派生した微小特異点で倒れていたのをホームズが拾ってきた。彼いわく、酔っ払っていて家に帰れたかも分からないとのこと。気づいたらあの場所にいたらしい。えりの汚れたワイシャツ、しわのついたスーツ、カバンの中には会社の資料を入れたらしいファイルと財布と鍵とが入っていた。スマホがない!!!と嘆いていた彼にホームズは「これかい?」と壊れたスマホを差し出した。それはどう見てもホームズが壊したように見えた。俺はホームズを睨んだが効果はなかった。 ワトソン。ホームズは彼をそう呼んだ。 「ワトソン。僕だよ、ホームズだ。ようやく会えたね」 男にはワトソンという音が聞こえなかったらしい。「え? 今なんて……?」と聞いている。 「……? ワトソン。何言ってるんだい、君はワトソンだよ。もうメアリーとは別れたんだろう? よかった、君が戻ってきてくれるのをずっと待ってたんだよ。いつの間にか僕はサーヴァントになっていたし君に会えるか心配していたが、そうか、君は人間のままなんだな。でもまあ会えてよかったよ。寂しくはなかったかいマイディア?」 男はずっと困惑した顔でホームズを見ていた。もしかして言葉が伝わってないのかもと思い口を開いたらすぐに「妻が、俺の人生だった」と言った。 「妻のためになら、ずっと頑張れた。俺は彼女のために生きてたんだ。ホームズさん、あんたは、俺を、誰かと勘違いしてますよ」 その後のことは藤丸はもう思い出したくない。ホームズと#名前2#さんは取っ組み合いの喧嘩までしたのだ。 そうしてファーストコンタクトから喧嘩をしていた2人はカルデアにいてもまだ喧嘩している。ホームズにとってはメアリー、#名前2#さんにとっては芽亜里さんが大体揉め事の原因だ。 #名前2#さんの奥さんの名前は鵙田芽亜里、と言うらしい。なるほどメアリー・モースタンから取ったような名前だ。ホームズがメアリーと言った言葉もちゃんと聞こえていたようだ。彼は会社員だけど医者じゃないんだろうか。気になって聞いてみたら医者家系だったところに、上からあまりにも押さえつけられて跳ねっ返りに一般企業にしたらしい。それでも医学部にいたのは事実らしく彼は手馴れた様子で喧嘩の傷を手当していた。サーヴァントと人間ではやはり力が違う。でも、ホームズに対して彼はものすごく力を発揮していた気がした。あれは、一体何だったのだろうか。 #名前2#さんが来る時ホームズはわざと近くに座る。向かいの席だ。横ではない。これは鉄則。ホームズとワトソンは向き合うものだから。多分#名前2#さんもそれが分かっているのか最近は隣にいるサーヴァントによく話しかける。ホームズはそれも気にしない。ワトソンがいるから、と今はニコニコできるのだ。でもワトソンがサーヴァントに触るとぎらりと目を光らせて英雄たちの困ったところを話し出す。#名前2#さんは大抵気にしないんだけどサーヴァントのみんなが恥ずかしがる。ホームズの止まらない口を押さえようとする。やけに遠回しなアピールだ。漫画で見た事あるようなその光景、お相手となる#名前2#さんはホームズを窘めながらさっさと食事を終わらせて隣にいたサーヴァントの肩を叩きまた今度な、と声をかける。自分がいなくなればホームズも意地を張って語ることもない、と分かっているのだ。 #名前2#さんのずるいところだと思う。ホームズがされたら嫌なことを確実に分かってやっている。ひとつ救いなのは#名前2#さんもモリアーティに声はかけていない、ということだった。 ある日のこと、#名前2#さんが他のサーヴァントとも仲良くなり、変な特異点に巻き込まれることがあるのだと知った頃のこと。ホームズがコカインを仕入れて注射していたらしい。どうやら教授が手を貸したらしいのだけれど、#名前2#さんはそれを知った時つかつかとホームズに近寄って「俺を殴れ」と言った。 「……なんだって?」 「俺を殴れ。お前に殴られた方がいい気がする」 「その理由が分からないよ、マイディア」 「マイディアは俺じゃねえだろ。好き勝手やるのはいいけどな、藤丸に迷惑かけるのはやめろよ。特異点がいつ起こるのか分かんねえんだろ」 「……。君が、悪いって自覚は」 「ある。だから俺を殴れって言ってるんだ」 そんな結末をホームズは望んではいない。ホームズの絶望したような顔に#名前2#さんはあっさりと「殴らねえのか」と言った。そしてホームズが持っていた杖で容赦なく自分を打ち付けたのだった。 だらだらと流れる血を拭いながら「ホームズ、お前が看病しろよ」と言った。 「藤丸、ホームズは俺の看病役にしてもいいかな。もしかしたら特異点に連れてくのは無理かもしれないんだけど」 「も、もちろん!」 俺の声は裏返っていたと思う。2週間、ホームズは#名前2#さんの看病をしていた。ナイチンゲールの献身的すぎる看病により#名前2#さんはすぐに復活した。それ以降、ホームズは前のように#名前2#さんにくっつかなくなった。 この事件の後、#名前2#さんは落ち込むどころかやけに生き生きとしていた。スタッフに彼が自分の世界に戻るのは近い、と言われたらしい。ホームズがまた荒れるのかなと悩みながらマイルームに戻った時、#名前2#さんが俺の部屋に遊びに来た。 「ごめんな、藤丸も忙しいのに」 「ううん、大丈夫。そ、それでどうしたの?」 「はは。そんな緊張しなくてもいいよ。単純に藤丸にとってのホームズは何かなあと思ってさ」 「俺にとって?」 「ほら。俺を帰す方向で動いてるけど、ダ・ヴィンチ…さんや、スタッフたちにホームズを今のまま放置しないでくれって言われて」 彼の目は誠実に物を語っていた。スキル直感、ではないけど。自分は人を信じることに関しては人一倍勘が強いと思っている。#名前2#さんは嘘をついていなかった。本心でこれしかなかった。何だかホームズがとても可哀想になってしまった。 「俺にとってのホームズは、この世界のかっこいい探偵だ。彼がいないと進めない、方位磁針と同じ。メンターなんだ」 だから俺も素直に話した。#名前2#さんも大切だ。だけど、カルデアのことを考えるとその重要度はきっとホームズの方が上なのだ。俺の言い切った姿はどんな姿だったのだろう。向かい合う#名前2#さんは微笑んでいた。 「そっか………。そりゃあ、腑抜けたままじゃダメだよなあ」 #名前2#さんのその微笑みの真意が俺にはよく分からなかった。 ホームズにとってワトソンはかけがえのないものだ。彼がいないと名探偵ホームズは完成されない。暗闇の中でぼーっとしているだけでも頭は活発に動いていた。どうすればワトソンを、#名前2#を傍においておけるのか。もう、二度と彼を手放さないように、したいのに。ホームズの心はどこかでまだ何かを捨てきれなかった。 ワトソンが離れていくことをシャーロック・ホームズは止められない。そういう決まりだ。されど、彼をワトソンではないと認めるともはや英霊と人間、さらに相容れない存在になってしまう。それだけはどうしても避けたかった。可能性の高い方を選び続けるホームズの合理性が悪い方向に働いていた。 部屋に#名前2#が入ってきたのも気づいたがホームズは何も言わなかった。 「なあおいホームズ。あの貼り紙は何だったんだ?」 「君がここに来れるように、さ。君は僕となん事件を解決はしていないだろう? どれだけの知能か分からないからね」 ホームズは机に向かったまま返事をした。彼はふう、と息をついてベッドに座る。ワトソンと同じ行動だ。すぐに分かる。 「ホームズ。俺は帰るからな」 ほら。彼は行ってしまう。僕を置いて。僕に与えておいて、それでいて、僕から逃げていく。僕はまた置き去りにされる。 「元気でやれよ」 彼はそう言ったあともそこに残っていた。どこかに行かないものかと待ってみたが彼も待っていた。 「マイディア」 「んー」 「知っているかい」 「多分知らない」 ……その返事は、予想外だった。 「人は与えられたものに満足する訳では無いんだ。与えられたものがいいものだ、と比べたり離れたりして初めて分かるんだ。僕には……その、君以外の友人はいないよ。マスターもいるけれど。そうだね、彼は、友人……というには、何か違う。僕の友人は君だけだ。前にも言ったように」 ホームズはありったけの言葉を詰め込んでいた。訳もわからずしゃべっていた。シャーロック・ホームズは名探偵のはずなのに。ワトソンを傷つけてしまったことが彼の名探偵としての形に傷をつけてしまった。 「………。僕には君が必要だ。君が与えてくれたものは全て暖かかった。大切なものだった。君が先に死んでも、僕は君の思い出で生きてこられた。サーヴァントになってからもだ。キャスターである僕が正義と悪とを分ける境目になれたのは、ワトソンのおかげだ。……#名前2#。……君は、暖かいことを知っていると寒さに耐えきれないことを知っているだろう」 ホームズの言葉に#名前2#はつかつかと近寄ってきた。そして僕の頬を叩くと上を見上げさせた。 「俺の名前、ようやく、呼べたな」 「……。だって、君は」 「俺は確かに人間だし、自分の世界に帰んなきゃいけない。聖杯のバグだっていうし」 うう、と涙が出そうになったホームズの頬を#名前2#は再び叩いた。 「だから、お前が聖杯のバグを解決できないって言うのなら俺はここに残るよ。かの名探偵が解けない謎ならダ・ヴィンチたちも納得するさ」 「………。なんだい、それ」 「俺がここで死ぬかもしれないってことだよ」 息が止まる。#名前2#が、ワトソンが死ぬなんてもう二度と見たくないのに。 #名前2#は笑ったままホームズの肩を叩いた。慰めの言葉をかけてくれてもいいのに、彼は何も言わなかった。 「ホームズ。どうする」 彼の無事のため、将来のため手放すのか。彼の未来を奪い、名探偵の唯一の解けない謎として彼を手元に置くのか。ホームズの決断はすぐであった。