8文字先を歩く

 うわー忘れ物をした!! 焦って職員室に取りに行ったら「あいつなんて鬱陶しいだけだぞ」と言われているのを聞いてしまった。聞いていたクルーウェルとバルガスはけたけたと笑って「#名前2#が聞いたら悲しみますね」なんて言っている。現在進行形で聞いているし傷ついているところだ。 「………戻ろ。別にあのペンはただのペンだしな」  インクを交換しながらも長年使い続けていたペンを置き忘れたことにしてその日は違うペンを使ってみた。適度な重さもなく、ガリガリとひっかかって書かなければならないそれは自分の心にも重なって見えた。このままポッキリと折れたりしないだろうか。わざと木でコーティングされたペンを見ながらそんなことを思った。 「せんせー、元気ないね。大丈夫?」 「グリューエンがテストで満点とったら元気になる」 「俺、そんなことよりも青い薔薇を育てる方が得意ー」 「勉強しろってことだよ。わざわざ言わせんな」 「ちぇっ」  適度に絡んでくる生徒をあしらって次の授業の準備をする。シュラウドの兄の方にパソコンを改造してもらって使いやすくなったのだがタイプ音がいちいちうるさくなったのでそこだけ不便である。彼にはこれがいいのかもしれないけれど。  というか、自分はグリューエンのようなうざさをトレインに感じさせていたとそういうことだろうか。それは……なんとも恥ずかしい。  本当はトレインに何か話しかけようかと思っていた。生徒がしていたのを見つけた落書きだとか、最近公開された映画がトレインの好みに近くて面白そうだとか、部活の生徒たちが最近はやけに力を入れてるだとか。そういう、日常の小さな話をしたかった。世間話といえば聞こえはいいが、要するにこういう会話がトレインには鬱陶しいわけだ。  俺としてはそんな嫌がらせの言葉ではなかった。ただ、面白いと思った話を共有したかった。もっと言うならばその楽しさを共有したかった。俺が面白いと思ったものはトレインにも面白いと思ってもらえるのか。俺のしたミスは彼に笑ってもらえるのか。俺が知らないトレインの生活はどうなっていたのか。馬鹿みたいにそんなことばかりを考えて話しかける。それが、悪かったのかもしれない。  好奇心で何かをつつき回すのは俺の悪い癖だ。むかし、トレインから言われたことがあるのだが、悪意も敵意もないのに攻撃しているように見える、らしい。俺としては本当になんのてらいもないのだが、見ようによってはそれは攻撃であり害悪になるのだ。善良な自分を信じていた俺にとってはトレインのその言葉に感銘を受けて彼にくっついて回るようになったという経緯がある。うん、そう考えてみると自分はちょっと彼に頼りすぎていたのかもしれない。反省してトレインに話しかけることはできるだけ遠慮しようと思った。いや、これは反省というよりも自己防衛に近かった。好きな人に嫌われたくない気持ちと、自分を否定するトレインを見たくないという気持ちと。とても自己中心的な考えだが本当にその気持ちがないまぜになっていたのだ。  トレインを避けるのは難しいけれどできる限り話しかけないようにしようとか、自分の気持ちはだかだかとSNSで壁打ちをするだとか、そんな些細なことで気持ち悪い自分の気持ちも少しだけ軽くなった。この調子で行けば1週間ほどで自分の気持ちとも折り合いが着けられそうだ。そう思っていたところでトレインに打ち合わせを申し出された。打ち合わせといっても授業も色々なものをクロスオーバーさせて知識を幅広くつけてもらおうというアカデミーとしての仕事の話である。場所はトレインの家、と指定されたがそれまでもまあ、トレインの家に呼ばれることはあった。自分の方も落ち着いてきていることだし、下手にトレインも自分も傷つけることは無いだろうと判断してOKをした。  トレインは家に来た俺を見て早々にここに座ってくれ、とダイニングテーブルを指さした。おや、ソファーじゃないんだな、と。そう思ったが最低限の距離感というのはこういうことを言うのかもしれない。今までなし崩しにソファーにいたことを反省しながら腰掛けた。トレインはもぞもぞと俺の前に1枚のプリントを差し出した。コピーされたそれは昔に書いた覚えのあるものだった。 「………わたしは、今も変わっていないのだが。もし、君が、反故にしたいというのであれば」  彼らしくないセリフにこの誓約書を書いた時のことを思い出す。彼のためにコーヒーを入れていた。今にして思うとあれはトレインが俺のために紅茶じゃなくてコーヒーを所望していたのだったんじゃ、と自惚れるようなお話だ。日常生活を共にしたい、と。コーヒーを一緒に飲むのも、中庭で珍しく花を見つけたと報告するのも、映画を見る相手も、すべて自分として欲しいと小さくて偉大なお願いごとをわざわざ紙に書いて2人で押印した。懐かしい。俺はトレインがそういうのがもう鬱陶しくなったのかと思っていたのに。 「俺、まだトレインのパートナーでいいのかな」  トレインは何を言われているのか分からない、という顔をしたあと「それはこちらのセリフだ」と言った。うん、俺達にはひとまず話し合いが必要みたいだ。話し合い、いや、彼風に言うならば打ち合わせだろうか。今後の2人の人生のための打ち合わせである。