エクステンデッド

 彼と一緒にいるとどうにも自分の出来ない加減が苦痛になる。この気持ちを表現する言葉を僕は持ってないけれどジョン・ワトソンの言葉を借りたならば「自分が情けない」という一言に限るのである。  赤井秀一と同じものを見ているはずなのに自分には話がわからず彼の言う準備なるものに翻弄されて気づいたら犯人が捕まっている。そんな状況が当たり前に受け入れられていることが気持ち悪くて異動した。彼と離れなければならないと思っていた。それが彼と恋人になるきっかけになるとは思わなかった。昔の自分に声をかけられるならまずはこう話しかける。逃げても無駄だぞ、と。 「……。わあ」  久々に日本のシャーロック・ホームズを読みながらものすごくジョン・ワトソンに感情移入してしまい、そのまま涙していることに気づいた。全く、自分はいつの間にこんなに涙脆くなってしまったのか。恥ずかしく思いながらティッシュをとってまた読み進めた。 「好きだね、#名前2#さんそれ」 「コナンくん。ありがとうございます、お邪魔してます」 「ううん、別に。ホームズ好きなのは知ってるし」  好き、と言われるとなんとなしに恥ずかしい。大人になるまでシャーロック・ホームズなんて全く読んだことがなかったのだ。付き合いたての頃、秀一からオススメされて読み始めたのだが想像以上にハマった。パスティーシュ、ドラマ、アニメ、マンガなど様々なシャーロック・ホームズに手を出しては相棒のワトソンに涙している。コナン少年はかのアーサー・コナン・ドイルから名前を取っているらしく、偶然いあわせた事件の後ホームズの話で盛り上がった。手当り次第に本を読んでいるからどの文庫が日本語訳でいいのか分からないと言うと彼は「僕、全部持ってるよ」とすごいことを言い出したのだった。そんな訳で少年の兄代わりの人が住んでいたというこの家にたまに訪問させてもらっている。さすがに少年の私物ではなかった。彼いわく、兄がわりのシンイチには許可を貰っているから読んでも大丈夫だよ、ということだった。今日読んでいたのは赤毛連盟である。この時のワトソンが一番好きだった。ティッシュでもう一度鼻をかみ、本を読もうとしたが横に座った少年のことが気になって仕方ない。 「……」 「ど、どうかしましたか……」 「ううん。なんか、不思議だなって」 「え?」 「FBIの人が、休暇でこんな所にいるなんて」 「ああ。妹の結婚の話があると押し通しました。あれですよ、えっと、日本の…メロッシュ……」 「あー、走れメロス?」 「はい」  #名前2#の言葉が冗談かどうかも分からない。苦笑いでコナンは流した。そういえばさ、とコナンはまた話しかける。 「#名前2#さんと赤井さんってどうやって付き合い始めたの? 2人は最初は仲が悪かったって……」 「ああ、それはですね。うーん、そうだな。僕の昔話から話しますと」  #名前2#は物心ついたときにはゲイという自覚があった。彼は敬虔な親の元には生まれなかったので自分がゲイであることを嫌がりはしなかった。ただし、彼は自分はまともな恋は出来ないだろうなと思っていたし、事実そうなった。#名前2#は妹が家族の血を繋いでくれればいいなあと心のどこかで思いながら多感な思春期を終えた。男が好きだと思っても彼の理想はとても高かったので同い年の少年の裸を見てもなんとも思わなかったのである。セクシーだなあと思うことと、性的欲求は全く異なる。#名前2#は言い訳もまた上手かったので何くれとなく学校生活を乗り切ってしまった。  問題があったのはFBIに入るための警察学校である。細かな話を省くが、#名前2#はこの時に自分がゲイであることを隠さなくなったしそんな自分が誰かに隠れなければいけないとか、誰かから指をさされるだとか、そんなめんどくさい事に囚われたくないなと思ったのだ。それに加えて彼の理想はとてつもなく高かった。自分も狙われるかもしれない、と思っている男がいるとその度に#名前2#は「俺の理想の人はジョンギルバートなんだけど一生そんな人に会えない気がするんだ」と当てこすりのように言うのだった。品位のない男はそれでも#名前2#につかみかかってくるが、そんな彼らを見ていると見る女全てが自分とセックスする可能性があると思っているのでは、と女性自身が思うことがあるらしく彼らの方が孤立するようなこともあった。  #名前2#は自身のセクシャリティでトラブルが起きてしまうのはこのご時世なので仕方ないと思っていたし、さらにハンサムな男が「自分も対象かもしれない」とある種の防衛であり自意識過剰になっているのも仕方の無い話だよなあと思った。  一緒の班になった赤井秀一という男はまさにそんなタイプだった。彼はゲイを嫌っている訳では無い。だが、自分に好意が向けられると拒否反応を起こす。そんな人だった。異性愛者なのは分かっていたし、恋の多い男である。ゲイは生理的に無理だ、ということに人は何も言えないし、#名前2#も何かしようとは思わない。せいぜい友人にならないよう気をつけるかな、と思うくらいだった。ただ、ビジネスライクな関係を築こうにも赤井の方から避けるのだから#名前2#は腹が立っていた。  ある日のこと、女友達を連れてきた#名前2#はビールを飲み干すと「あんな男、こっちの方から願い下げですが!?」と叫んだ。 「声が大きいわよ」 「仕方ないでしょう、なんですか、あいつ!! いちいちいちいち人のことを避けて! 誰もお前の体なんか目当てにしてないのに!」 「彼の方にも色々あるのよ。昔、友人だと思っていた人にホテルで迫られたことがあるらしいの」 「………えぇー」 「嘘じゃないのよ? 本当にあったの。私たちだってびっくりよ、彼がそんなに魅力的なのは分かるけど」 「僕だったら絶対に嫌ですね、ホテルで誘うなら  みたいな明るいセックスシンボルがいいです」 「明るいセックスシンボル…」  その後二人でまた酒を飲み食事をし、としていたのだがどうやらあの場には話題にあがった赤井秀一がいたらしく。翌日から彼は#名前2#に対して避けることがなくなった。  元から#名前2#自身は赤井のいるチームに入るぐらいにはそれなりに優秀なメンバーだ。#名前2#に伝わる情報のロスが少なくなったぶん、仕事効率は格段と跳ね上がった。#名前2#は赤井に対しても物怖じせず意見をぶつけるので周りがハラハラすることもあったが、その質問も皆が聞きたかったことでもあり、とある意味潤滑油のような存在に#名前2#はなりつつあった。  #名前2#はいつも自分のスタンスを持っていたし、赤井も同じように自分のスタンスがあった。彼らの性質はくっついたり離れたりと忙しなかったが、赤井秀一の頭脳にくっついてサポートすることができるレベルに#名前2#はいた。彼がいると仕事がやりやすい、と赤井は思っていたし自分と彼がコンビになれば今以上の成果をあげられるだろう、と思った。  彼の恋人であるジョディなどは#名前2#のおかげですごく助かるわ、と手のひらを返したように言うのだった。彼女もまた、#名前2#が赤井を狙っているのではないかと心配している1人だったのだ。#名前2#はなんて理不尽なやつだ、と思っていたが過去のトラウマを聞いたら心配するのも仕方ないことだろうと考えを改めた。と同時に、自分はやっぱり「自分を忌避する人間」を好きになれないし、本人は差別に囚われないと思っていてもそう見える人間がいるのだと知った。  ある日、#名前2#は映画を見ないかと誘われてハリウッドで新しく制作されたシャーロック・ホームズを見た。自分の知ってるホームズとは全く違うなあと思いながら見ていたが、そのうちに一人で駆け回るホームズとそれを追いかけるワトソンという構図に#名前2#は「うわ」と思った。気づかない方がよかったのは自分でもそう思う。でもこの構図は自分たちと赤井秀一だと思った。それに気づいたあと、#名前2#は異動願いを出していた。 「ねえ、#名前2#さん」 「はい」 「僕、赤井さんとの馴れ初めを教えてって言ったと思うんだけど」 「そうですね」 「本当にこれが馴れ初め?」 「はあ、もちろん」  真顔で頷く#名前2#を見ながらコナンは赤井さん苦労してるんだろうなあと思った。 「その後は秀一の方から僕を追いかけてきて盛大な告白を受けました」 「えっ」 「えっ」 「それだけ?」 「劇的なことは何も無いです」 「あるでしょ」 「さあ? 僕としては特に何も無いですね」 「理想と違っても良かったの?」 「うーん、そうですね。妥協です」 「妥協……」  この会話の様子では#名前2#はこれ以上のことは話してくれ無さそうだ。いつか赤井さんの方から聞いてみよう。だけどあの人は……ベタ惚れのこの恋人に告白した話なんてしゃべってくれるんだろうか。いざとなったら自白剤でも用意して聞いてみたいと思うコナンだった。