ドゥマハストミヒグリックリヒ
!時空よく分からないけどサーヴァントはいない 記憶喪失。アムネシア。彼には強烈なショックにより聖杯戦争の記憶がぽっかりとない。今までの色んな所業からしてそうなっても仕方ないとは思うのだが、いかんせん彼の真っ直ぐな目は俺には眩しすぎた。 色んな奴らが見舞いに来ては「お前は……えっと、」と記憶が曖昧になっている。遠坂や俺、綺礼神父にイリヤスフィールなんかはその類だった。ひとりひとり自己紹介しても聖杯戦争についての説明がしにくい。それに、彼が契約していたセイバーはもういないのだ。仕方なく嘘の話を彼の頭に刷り込んだ。俺達は良かれと思っていた。聖杯戦争なんて惨いものは彼には必要ないだろう、と。 「士郎、はよう」 「ああ、おはよう」 衛宮士郎。高校生。大災害のせいで家族はいない。今は藤村大河というお姉さんと一緒に住んでいる。藤村大河、通称冬木の虎。俺達は「藤ねえ」と呼んでいた。士郎の周りにはたくさんの個性豊かな奴らがいる。ナルシストで腹立つやつだが、士郎を友として見ている慎二。生徒会長で俺達の頼れるブレインである一成。お嬢さまキャラなのか、ツンデレなのか、はたまたドジっ子、はたまた強気な女子高生と属性詰め合わせの遠坂。遠坂の妹でありながら慎二の妹でもあるらしい、後輩の清楚系美少女かつ士郎大好き人間の桜。士郎の姉なのか妹なのかその実態は分からないがとりあえずちっちゃい姿で達観したりしているイリヤちゃん。羅列するとかなり濃い面子に囲まれている士郎だが、その中で一番おかしなやつはこの俺だろう。 衛宮士郎の恋人。男同士なのに、って言われたし俺も言った。でも好きだったから告白した。きちんとフラれた後で逃げの一手に徹しようと思っていた。あろうことか、士郎は俺に微笑みかけて「恋人にしてほしい」と言ったのだ。俺はただ首をふるだけだった。幸せだった。士郎が俺を受け入れてくれたと勘違いしていた。いつかは崩れるだろうとは思っていた。そしてそれは自分が願うよりも早くにひょっこりとやってきた。 数ヶ月したら士郎は記憶喪失になった。何があってそうなったのかは知らされてないが事故、らしい。遠坂も桜もイリヤも言いにくそうにしていたから、俺には何か話せない類のことなのだろう。前にもそういった事があるので気にはしない。 「ねえ、言わなくていいの?」 見舞いに行こうとしたら突然にカフェに突き飛ばされた。遠坂がその細い腕で俺のことを引っ張ったのだ。椅子に座った俺に開口一番そう聞いた。俺は笑って返した。 「何を言うんだよ」 「しらばっくれないで。衛宮くんと付き合ってたんでしょ?」 「そうだな」 「なら! きちんと言ってあげなさいよ!! 記憶喪失の彼が心細いかもしれないとか、思わないの!!?」 「思わないよ」 「………え?」 「士郎の周りには遠坂も桜もいる。藤ねえもイリヤスフィールもいる。アイツには俺みたいなやつはいらないよ」 「なによそれ。本気で言ってるの?」 「じゃあ聞くけど。遠坂。お前、記憶喪失になったとしてさ。君には同性の恋人がいたんだよって伝えられたらどうするんだ?」 遠坂の顔はこれ以上ないくらいに怯えたような異常を見るようなそんな顔をしていた。気持ち悪い仮定と思えてもらえたなら結構だ。俺と士郎は気持ち悪いってことが分かったんだから。 「俺だったらドン引きするよ。それを教えられなかったらもっといい人生歩めるかもしれないのにって」 俺は笑いながらそういった。遠坂はまるで汚物を見るような目をしていた。初対面の時みたいだった。 「あんた、最低だわ」 「そうか?」 俺は士郎も俺も傷つかない選択肢を選んだだけだよ。思い出は穢されたくないからな。今の自分がどうなろうと俺は気にしないから。 遠坂とお別れして士郎の病室を叩く。4人共通部屋なのは士郎が願ったことだとか。士郎のベッド脇には遠坂が持ってきたのだろう花があった。俺は特に何かを持ってきているわけでもなく「これ学校で配られたプリント」と業務連絡みたいなことをする。 「ありがとう」 「どういたしまして」 入院着から見え隠れする士郎の怪我のあと。遠坂たちはどんな風に説明したのだろうか。聖杯戦争のことも。俺のことも。「いい。衛宮くんにはね、#名前1##名前2#っていう恋人がいるのよ」なんて言っていたら御笑い種だ。冗談だろと鼻で笑い飛ばされてしまう。 「今日の調子はどうだ?」 「まあまあかな」 「検査結果良かったら自宅移るんだって?」 「ああ。どうなるか分かんないけど多分大丈夫だ」 そういって彼は笑った。その士郎の笑い方は俺が好きになったそれだった。俺を心配させまいとするその笑い方。せめてそんな風に気遣いをしなくてもいい存在に俺はなりたかった。だがそんなのは俺の独りよがりだ。士郎は士郎の考えがあるし、気持ちがある。俺はどう頑張っても士郎のことを支える人間になれなかった。 付き合ってからの士郎はとても俺に尽くした。俺が止めさせたかったそれを士郎は必ずした。士郎の愛の形と俺の愛の形は次第に合わなくなっていた。今士郎が記憶喪失になって少しだけほっとしている自分がいる。 「士郎、退院出来るといいな」 「ああ、ありがとう」 退院しなければいいなんてホント、元恋人が思うセリフじゃないよなぁ。 「いい。#名前1##名前2#って奴がきたらこう聞くの。貴方の恋人はどんな人ですかって」 同級生らしい遠坂に念を押されまくって覚えてしまった言葉。未だに言えていないままだ。自分がこんなに臆病だとは知らなかった。今までだったら多分言っていただろう。#名前1#を助けてあげて、と言われたら言わないわけにいかない。でも今はそれを言われても無理だった。 #名前1##名前2#。こっちはクラスメート。男。この男に、恋人について聞く。最初は無遠慮すぎると思って言わなかった。仲良くなってからにしようと思い先延ばしにしてきた。そうこうしているうちに俺の中では「仲良くなってから」が「退院してから」に変わり「恋人について聞かなくてもいいんじゃないか」と考えるようになっていた。 好きな人に恋人について聞くって、つまりは#名前2#にはもう恋人がいるからっていう牽制なんだろう。勘違いするなよ、っていう牽制だ。俺が優しくされたら好きになる人間だったのか、それともゲイだったのか。自分のことはよく分からないが毎日、曜日ごとに決まった時間に訪問する#名前2#に惹かれてしまったのは確かだ。 退院する日は近づいている。逃したらきっと#名前2#には会えなくなる。そんな予感がする。明日、言おう。必ず。言わなくてはならない。 そんな決意も虚しく#名前2#は次の日病院に来なかった。代わりに間桐慎二がやってきて俺にプリントを渡した。 「……。なあ、#名前2#は」 「ああ? アイツならケガして当分は学校に来ないってさ。馬鹿だよなあ、ぼうっとして歩いてるから階段踏み外して頭ぶつけるって。このまま記憶喪失になったらウケるなぁ。記憶喪失を2人も抱え込むなんて! あはははは!!!」 「……。そっ、か」 #名前2#は、ケガをしたのか。ぼうっとしていたのか。頭をぶつけたのか。彼は、今同じ病院にいるのか。 びきり、と何かが割る音がした。自分から割れたような音だった。内側の圧に耐えきれずにヒビが入り吹き出すように割れたのだ。破片は内側から自分の心臓に突き刺さりズキズキと鋭い痛みを生み出した。 衛宮士郎は次の日には退院した。記憶は戻っていないままだ。何となしに家中の部屋を見回った。まあ所々掃除の甘さが気になるが綺麗にしてある。台所もスッキリとしているが、食事はしていたのか薄らと水気のある食器が置かれていた。 最後に自分の部屋へ行った。なぜか自分の部屋へ行くのは気が引けていたのだ。嫌な予感と言うのか、ざわざわした感覚が胸を襲った。ズキズキとざわざわは同居してくれない。どちらかを今すぐにでも消したくて士郎は扉を開けた。 部屋は普通の男子が使っているようなところだった。机、椅子、ベッド、本棚。一体何に怯えていたのか自分でも分からなかった。部屋の中に入るとやはりざわざわと心がうるさい。何故だろうと見回しても分からなかった。 その時にふと目に止めたのが教科書類に紛れ込んだ1冊のノートだった。ノートと言うよりは冊子というべきか。ボロボロに崩れていたそれは端をホッチキスでがっちりと留めてあった。 何となしにその中身を眺めた。日記のようだった。いつからこの日記を書いたのか思い出せないので喪われた記憶の中で自分は書いていたのだろう。見ていいのか、それとも見てはいけないのか。記憶のない自分が他人のように思えて日記を閉じようかとも思った。だが日記の中に「#名前1#」という単語を見てぴたりと手をやめた。 おそるおそるページを開いてみると、そこには後悔している自分がいた。後悔、懺悔、謝罪。そういった言葉が書きなぐられている。鉛筆で書いてあるのか余分についた黒鉛の粉がノートを薄暗くさせている。おそるおそる前のページを見てみるとたった一言しか書いていなかった。 「俺は悪くない」 悪くないと言っているのに次のページでは自分のことを貶し、謝り、死んでしまいたいと願っている。不思議だった。何があったのか。 「#名前2#」 その一言で胸がじんわりと熱くなった。 目を覚ますと病院だった。頭を打って3針縫われていた。ついでに足も骨折していた。着地がいけなかった、と母に言われた。母に謝って着替えを手伝ってもらった。片足があげられているとどうにもバランスがとれなかった。 「じゃあまた明日ね」 「ありがとう」 「何か持ってくるものはある?」 「暇だしなあ。なんか本持ってきてよ」 「貴方の部屋、足の踏み場がないくらい汚いんだもの。入るの嫌だわ」 母はそう言いながらも「いつも読んでた本でいいの?」と聞いた。俺はそれに頷いた。華麗なるギャツビーの翻訳は色々あるけれど原文がいちばんだ。母は明日にはアメリカ仕様の本と重たい紙辞書を持ってきてくれるだろう。 それまでは、と俺は自分のノートを見ていた。嫌なことはノートに吐き出せ、と母に言われて書いていたノートだ。士郎の記憶喪失騒動で忘れていたことを思い出した。士郎と俺は喧嘩別れをしていたのだ。 士郎の愛しているは信用出来ない。俺は彼に向かって大層な口をきいた。でもそれは本当のことだった。俺の思い出の中にリフレインさせる言葉としてならまだしも、彼が本当に俺のことを愛しているなんて思えなかった。彼にとっては尽くすことが大事でその対象には誰だってすげ替え可能なものなのだから。士郎は違うと言ったが違うなんてことはなかった。俺からの施しを嫌っていた士郎ってのは、つまりそういう風に俺を見ていたんだろうと言った。士郎は泣きながら出ていった。俺はその後の士郎を知らないのだ。 士郎の記憶は戻らなかった。いつまでたっても戻る気配がなかった。最近の俺は士郎がやり直しをしたがっているのではないかと考えている。士郎が俺とのやり直しを望んでいる、と。馬鹿な話だと思う。俺の妄想が入り込んだ考察だ。だが、そうでも思わないと俺はこの記憶喪失をどう扱えばいいのか分からなかった。士郎は何を思って記憶喪失になろうとしたのか分からなかった。ひとつ分かっていることは、遠坂凛が士郎に対して記憶喪失になりたいと零していたということだけ。彼は記憶喪失を望んでいたということだけだ。 「士郎。飯食おうぜ」 「ああ」 「弁当持ってきたか?」 「当たり前だろ。お前こそ、栄養バランス大丈夫かよ」 「へーきへーき」 士郎は昔の士郎ではない。だが目の前にいるのが本物だ。俺はただ笑って彼と時間を過ごすことにした。士郎に怯えても仕方ない。彼を求めても仕方ない。士郎が士郎である限り、俺はその隣にただへらへらと笑って座っていれば良い。俺が傷つくこともなければ士郎が悲しむこともない合理的な方法だ。遠坂たちはそんな俺を見てはいつも嫌な顔をしていた。そしてこう言うのだ。 「あんた、最低ね」 俺は笑って返す。 「最低じゃない人間はいないさ。最低を俺達は知らないんだから」 男はただ何もない時間に戻りたかった。愛し合っていたと言える時間にタイムワープしたかった。だが、それは人間には過ぎた願いだった。神様は男の記憶を消してやった。愛し合っていたのに愛し合っていなかった記憶を隅から隅まで真っ白なそれに変えてしまった。男はそのために愛すらも忘れてしまった。愛し合っていたという言葉が消す時に引っかかっていたのだ。記憶は愛し合っていた時から全て消されてしまった。 男はいま笑うだけのガラクタを横に置いてしくしくと泣いている。男はガラクタとは愛し合えないと知ったからだ。ガラクタはそれでも笑い続けている。