さめざめと笑う
小泉家といえば成金上がりの明治で大成功した男である。その当主が戦争を止めるために味方を増やすと宣言した。つまりは見合いをしろ、と言われた時に若様たちの頭に真っ先に過ったのは長瀬と園山のことだった。幼なじみだが身分差などを考えて諦めていた長瀬と、性別などから絶対に無理だと諦めていた園山の2人である。彼らが見合いに反対することはないだろうが、それをただただ見逃すのも気分が悪いというもの。おそるおそる見た彼らは別段表情を変えずに小泉家当主を見ていた。その静けさが余計怖かった。 長瀬達は自分たちを若様組と称してはいるがいつも一緒にいるわけではない。それぞれに当てられた派出所があり、先輩方と親分たちと会話しながら何とかやっているのだ。だが見合いという一大事に若様たちが抱える家臣たちはいきり立った。こんな機会でもなければ嫁は貰えない、と誰かが言ったら賛成が呼び込まれて瞬く間に結婚の話から持参金の話にすり変わった。小泉家当主の指示で行われる見合いなら出世は望めなくとも金の用立てに当てができるだろう、と言うのだ。家にいればいるほどのしかかるプレッシャーに若様達は逃げ出して友人である皆川真次郎の店に転がり込んだのだった。 長瀬からはミナと呼ばれている彼の店は明治の世にしては珍しい洋菓子店である。突然制服姿でやってきた彼らに皆川は顔を顰めた。 「なんだ、お前達。急に乗り込んできて」 「……沙羅さんから聞いてないか」 「聞いてる。見合いをするんだってな」 ああ、と長瀬が頷く。最初の見合いは園山になると当主から連絡が来たのだ。園山は見た目こそ美丈夫だがその本性は歩く凶器とまで言われるほどに鋭い。彼の突発的な暴走には若様たちもほとほと手を焼いていた。彼が言うことを聞くのは長瀬と皆川。そして彼の想い人である#名前1#だけだった。#名前1#が居る時の園山はとても大人しく周りからは園さんも人の子だったんだな、と言うほどだった。だがそれもただの仲のいい関係だと、そう思っていたのだが。 まだ巡査にもなっていないあの頃、宿舎で長瀬が沙羅さんが好きだと認めた時に園山も「私もです」と言い出した。 「私も#名前1#さんが好きだと、ここに来てからたっぷりと思い知らされました」 #名前1##名前2#という男は医者の息子だ。江戸から明治に変わろうとずっと周りから信頼を受けてきた彼は西洋の医学も学ばなければ、と父親の信頼を受けて大学に入った。 それに対し、園山は元は三千石を抱えていた世が世なら若様な人だ。その領地の広さから抱えている家臣の数も多く、彼は絶対に嫁をもらい家を支えなければならない立場にあった。そんな園山が好きになったのは男だということに友たちは驚きを隠せなかった。ただその好きだと言う表情は彼の見せた人間らしい1面だったとも思う。 「それは、残念ですね」 福田に言われて園山は泣きそうになりながら「ああ」と頷いた。こればかりはどうしようもない。若様だったとしても叶うはずのない恋だ。むしろ今の立場の方でようやく彼に出会えたようなものか。長瀬たちは園山が陰間であるとは思わなかった。彼の想い人が#名前1##名前2#だったことに驚き、彼の恋は最初から破れてしまったことを悲しみ頭を抱えた。園山は全く泣かないはずだ。兄が死んだ時も、それに関してひどいことを言われた時も彼は泣かなかった。そんな彼が今、#名前1##名前2#との恋が砕けたことに泣いている。その姿はひどく頭に焼き付いた。 そんな彼が見合いをするのである、どうしてくれようかと長瀬達は困ったのだ。結局いつかは嫁を貰わなければならない立場なのでいつかは見合いも襲ってくるというものだが今回は小泉家当主の策略の一部である。嫁を貰えたらバンザイ、といっていいのかどうか。 それは困ったな、と真次郎も頷いた。彼の方にも菓子職人になるための修行として洋行の話が出ている。己らは人生の岐路に立たされたのだな、と思うと途端に足がすくんでしまう。悩む真次郎たちに小泉家の令嬢である沙羅は「行けばいいじゃない」とあっけらかんと言う。 「そんな風に考え込むからよくないの、腹を括るのよ」 沙羅の決断力には恐れ入る。笑って誤魔化される女性ではない。園山とて誤魔化すつもりもそんな能力もないだろう。彼もまたあっけらかんとして言った。 「まあ、やるしかないでしょうね」 「おい、吹っ切れてるのか」 高木の言葉に園山は馬鹿言え、と笑う。その顔はいつか見た時のあの泣きそうな顔と重なった。見目麗しい彼にここまで愛されることが出来たのなら、と世の女性たちは思うかもしれない。現実はその一生分の愛を添い遂げることも伝えることも出来ない相手に捧げてしまった訳だが。 「……#名前1#さんのことは、ずっと好きなままですよ。あの人ほど俺の心を揺さぶった人はいませんから」 脳の奥底に焼き付いて離れてくれないのだ、と笑う彼を見たら見合いなんか成立しないだろうと思う。彼の目の奥には絶え間なく一人の男の影が映るのだ。そんな彼をまるごと愛してくれる人なぞいるのだろうか。早くも前途多難な見合い騒動に若様と真次郎はため息をつくのだった。 女学校の運動会、加賀の見合いの破談、長瀬が沙羅に振られたこと、沙羅と真次郎が洋行を決行したこと。それら全部を終えて園山薫は篠田琴子と祝言をあげた。彼女は園山の話を受け入れて彼と結婚する、と宣言したのだった。 園山は篠田琴子と見合いが成立するなんて思ってもいなかった。おっとりしている彼女は少しだけ#名前1#さんに似ているとは思ったがだからといって好きになれるかどうかは分からない。長瀬と水柿あやのとの見合いの場に篠田琴子が現れた時、園山は「あなたは俺の事を好いていないでしょう」と断言したのだ。長瀬はいつもの率直な言葉というよりは、園山なりの逃げだと思った。彼が珍しく逃げている。#名前1#さんのことになると本当にこの男は弱くなる。それが面白くも悲しい。篠田琴子は園山の問いに答えることも無く見合いの返事も聞かないまま関係はだらだらと続いていた。 終止符が打たれたのはご当主からのお言葉だった。 「園山くん、君と篠田さんのご令嬢との見合いにそろそろ決着をつけようじゃないか」 「……決断は向こうにあるのです、俺がなにか言うまでもないと思いますが」 「そうだな、金もない巡査の嫁になってくれるという人はなかなかいない。向こうからの返事を待つのが普通だ。だがな、琴子さんというお方はこと恋愛に対して面白い意見をお持ちだったよ」 「と、言いますと?」 「琴子さんは君に嫁ぎたいと言っている。だが、君の方から率直な言葉を頂いてないと。そうおっしゃられた。かくなる上は君は自分の思いを手紙にぶちまけて送ってやりなさい。彼女は全てを受け止める気でいるよ」 「………」 使用人らしき男が便箋を持ってこさせた。全く面倒だ、と思う反面ここで彼女を嫁に出来なければまた自分は暗闇の底に落ちてしまうだろうとも思う。兄を亡くしたあの頃のように。 家に戻る道すがら園山は小さな診察所をのぞいた。まだまだ経営は困難という彼だが、お人好しにも程があるくらいに色んな人を見て回っているのだ。彼に会えなかったらそのまま帰り色のいい返事でも出そうとそう思っていたのだが。診療所には明かりがついているのが分かった。吸い込まれるように視線がそこにいってしまう。足は自然と向かっていた。 「失礼」 「おや、薫さんじゃないですか」 巡査になってからはお久しぶりですね、と笑っている。彼の笑顔を見ると心がじわりと温まる。この人が好きだ、と何度でも思う。悪い事だとわかっていても止まることなどできなかった。世間話をするつもりだった。戦争が近づいてること、若様たちに見合いが舞い込んでいること、じいやたちが期待していること。全部全部、彼に伝えれば彼に負担になってしまうことばかり。彼とは幸せな思い出を持っていて欲しかったのだ。巡査になった園山を褒めてくれたその笑顔を壊したくなかった。 「見合いを、してきました」 出てきたのはその一言だった。 「……。準備が終われば結婚することになります」 「………おめでとうございます」 #名前2#の言葉に園山は頭を下げて診療所を出ていった。長瀬も沙羅に振られた。自分も#名前1#に振られた。やけ酒をしたくなる人の気持ちが少しわかる。この現実から一刻も早く逃げ出したかった。苦しい悲しい嫌だ嫌だ。そう思ってはいても体は動く。家に帰ってすぐ園山は自室に引っ込み便箋を取り出した。筆を持ってすぐに書き出す。 拝啓 篠田琴子様 堅苦しい挨拶をしている暇はありませんかと思い、単刀直入ですが私の気持ちを述べたいと思います。 貴方には言っておかなければならないことがあります。もしかしたら既に知っておられるかもしれません。 私には好いている方がおります。ですがその方と結ばれることはないと自分も相手も知っております。体を繋げたこともありません、手を繋いだことは昔の1度きりです。私はこの手紙を書く前にその人に振られてきました。 私はなんの思うこともなく貴方を愛せるかどうかと聞かれると首をかしげてしまうでしょう。人を愛したことはその人たった1度きりなのです。貴方が思うように私は貴方を愛せないかもしれない。愛を返すことが出来ないかもしれない。それでも貴方が1歩踏み出してくださったことに感謝して私もこう言いたいと思います。 このような私でよければ、私と人生を共に歩んでください。 敬具 園山薫 いつもの若様たちに宛てた手紙ではなく、一通だけ園山薫様と書かれた手紙があった。長瀬は容赦なくそれを開けてやろうかと思ったがやめた。こんなことで彼と殴り合いになったら困る。まだ真次郎とて帰ってきてないというのに。 「園山さん、手紙だぞ」 「はあ……」 「沙羅さんからだ」 「え? 私にですか?」 怪訝そうな顔をしながらも園山はそれを受け取りビリビリと開ける。そして手紙を読み無言でそれを机に叩きつけた。久々に彼の突破的な暴力を目の当たりにして長瀬はぐっと腹に力を込めたが園山は「警邏に行ってきます」と走っていってしまった。 「あれ? おい、園山はどうした」 先輩巡査に言われて長瀬は苦笑いで「人の恋路に突っ込んだら牛に蹴られると言いますけど歩く凶器の場合はどうなりますかね」と言うのだった。 園山に沙羅が書いた手紙は要約すると以下のようなことが書かれていた。 園山さん、#名前1#先生に告白したのね。お父様経由で連絡が来ました。#名前1#先生は以前から親しくされていた薬種問屋の方からの縁で関西の方とお見合いをされたそうよ。近々そちらに移るんですって。ねえ、手紙がいつ届くか私は分からないけどきっとお父様もなにかしてらっしゃるわ。早く行って。いいえ、行きなさい園山薫。 園山は走っていた。こんな別れはいやだ、と。貴方から何の返事も貰えてない。貴方に会えなくなることなんて考えたくない、と。声をかける野次馬を無視して仲間である加賀のこともほっぽってとにかく走っていた。 診療所の看板がある。何も言わずに扉を開けた。そこで待っていたのは加賀と見合いをした八重花さんと結婚された菅野という医者だった。正確には元軍医である。彼は園山を見ても驚かなかった。座りなさい、と一言だった。 普段なら走りきる距離でも限界まで体を動かしたせいで息切れをしていた。切れた息でなんとか「#名前1##名前2#はどこですか」と聞いた。 「ここにいた彼ならもう既に出発されたようだよ。小泉家のご当主にしてやられたね」 沙羅さんを英吉利に出したことをまだあの人は根に持っていたらしい。いや、それでこそ小泉家当主である。それでも腹が立つ気持ちはある。イライラしたそれを腹に溜め込んで園山は「彼はどこに、」と聞き出した。 「#名前1#くんの方から、教えたくないということらしい」 「なぜっ! 何故あなたにそんなことを、」 「彼はね、君の結婚を本当に大切に思ってたんだよ」 ご当主はやはり沙羅さんの洋行をよう思っていなかった。長瀬には当て付けのように大学受験をさせた。園山には琴子との見合いを進めようとした。これはその一環だと言うのだ。 「ご当主は本気で君の見合いを進めようとしたみたいだね。そして私と八重花さんのことを知っていたように君とここにいた彼との関係にも気づいていたということだろう。君がいれば結婚が成立しないとでも言われたのだろうね、彼は軍医をやめた私に声をかけてきたんだ」 「……」 「彼からの手紙は私が届けよう。安心してくれ、中身はもちろん読まないよ」 園山はそこからどうやって帰ったのか仕事をしたのか家に戻ったのか全く覚えていない。手元に残された#名前2#からの手紙だけが現実を突きつけていた。祝言も迫っている。ただ、彼がいないと言うだけでこんなにも心はすさんでいた。