あなたを忘れる薬をください

※レオナルド・ウォッチ加入前から始まる ※主人公が恋愛感情もなく女性と結婚してる ※映画については個人の意見・考えです  スティーブン・A・スターフェイズはその時偽名としてティムという名前を使っていた。彼は独自のルートで掴んだ情報から目星をつけた組織の女ボスに近づくため、彼女好みの白いシャツに赤いネクタイをつけて近寄ったのだった。  スティーブンが今回の情報収集で近づいたのは妙齢の女性だった。彼女自身はひどく狡猾でお飾りの良人にも厳しい言葉を投げかけるような人だった。そんな彼女のベッドにまで探りを入れて情報を聞き出せたのは僥倖という他ない。  セックスをしたあと、女は異界産のタバコを吸いながら「私の良人はね、とっても快い人なのよ」と言うのだった。スティーブンの聞いている情報では彼は下っ端同然の扱いであり、この組織での位置は彼女の奴隷だったはずだ。不思議に思っていたのが女に伝わったらしい。女は「ふふ」と唇の端を歪めて笑った。彼女の顔の右半分は大火傷のせいでひきつった痕があった。その傷痕のせいで笑うのも一苦労していた。 「彼は、私が適当に見繕ったの」 「ああ」 「下っ端で、見つけた時にはすぐにも倒れそうだった。でも、彼の眼がとても美しかったの」  女がそう言ってまた笑う。普段なら全く笑いもしないのに、彼女は良人のことを話す時はまるで年齢が若返ったかのように振舞った。 「美しいって、素晴らしいわ。ティム」  スティーブンは自分の偽名を呼ばれて「分かってますよ、マダム」と頷いた。彼女からはスティーブンの尊顔も、それに見合った立ち振る舞いも美しいと言われなかった。スティーブンはこの情事の終わりの気だるげで緩やかな崩壊に満ちたぬるま湯になって初めて女から「美しい」という言葉を聞いたのだった。お飾りで連れられている男をこの女は美しいというのだった。それは実物に対しての美しさではないように聞こえた。スティーブンは良人である男のシルエットを思い出す。彼はいつもよれた白いシャツに赤いサスペンダーをつけて、煤汚れているジャケットを羽織っていた。  この組織が壊滅したとき、彼女の良人であった彼は偶然にも外に出ていて何が起きたのか全く知らされることがなかった。自分のいた組織が映画製作だけではなく人身売買と麻薬の密輸入をしていた、なんて彼は知らなかったのである。スティーブンの上司であるクラウスは「彼は何も関係ない」と言った。それに苦言を呈した者はいなかった。それぞれ頷き、スタジオから歩いて出ていった。スティーブンは最後までその場に残っていた。あの女は自分が潮時であると分かっていたのだろうな、と思った。それは彼女が悪人だからこそ分かったことかもしれないし、「美しい」と言われたあの男のためかもしれないとも思った。  スティーブンが瓦礫をまたいで道へと降りると同時に横ですれ違った男が「あぁっ」と情けない声をあげた。木っ端微塵になって何も残らない自分の会社を見て彼はしゃがみこみ「ああ、あぁっ。ああっ!」と悲鳴にもため息とも呼べない変な声をあげた。スティーブンはちょっとばかし彼を見つめた。野次馬が集まっていたのでスティーブンはその人混みの中に混ざっていた。彼からスティーブンを見つけることはないだろう。  男は泣いていた。その涙は美しかった。彼の瞳は水のように光を反射していた。田舎で見る、透明な水が日光を反射して木々の緑を映すようなそんな美しさがあった。スティーブンはその美しさに「彼はあの場所が好きだったのだろうか」とそんなことを思った。  男はその後、別のスタジオに拾われたと聞いた。また映画を作るのだろうかと思ったら彼は役者として映画に出ることになっていた。このヘルサレムズロットでも映画を撮りたい監督なんているんだなあとこぼしたら、クラウスには「伝統を守りたいのだろう」と頷かれた。スティーブンも会話の教養として映画について知ってはいるかあくまでも名作を覚えているだけである。友人のクラウスの方がその知識は深かった。 「伝統……?」 「アメリカで映画といえばハリウッドだが、ニューヨークと映画撮影といえばインディペンデントなのだ」 「へぇー」  スティーブンはもっと有名な映画作品が来るのかと思っていたが案外そうでは無いらしい。クラウスはすらすらと映画の歴史を語り始めた。 「そのインディペンデントの父と呼ばれた巨匠がジョン・カサヴェテスという。彼は、それまでのハリウッドで行われていた編集による自然な演技を排除し、ロケーション撮影によるリアルな世界を描いた」 「ロケーション撮影だけでリアルって言うのかい?」 「いや。彼の場合は人間の本性という方が正しいだろう。批評家の中には人種差別に初めて触れた作品を作ったのは彼だと言う人もいる」  ふぅん、と相槌を打ったがそれとヘルサレムズロットにやってきた映画監督と何に話が伝わるのかよく分からなかった。クラウスは「前置きが長くなってすまないが、」とスティーブンに少し謝罪してからまだ前置きの話を続けた。 「同じ頃、フランスでヌーヴェルヴァーグという映画の流行りがあった。映画について『これぐらい自分でもできる』と働きかけた若者たち……ゴダール、トリュフォーなどもまたリアルを目指していた。映画はその時勢に合わせて監督たちが美学を作る。1950年代の美学はリアリズムだった」 「……リアリズム、ねえ」 「今、ヘルサレムズロットで映画を撮るというのはそのリアリズムの系譜を守る運動ではないかと思う。もちろん、カサヴェテスのようにニューヨークで映画を撮りたいという者もいるだろうが……。カメラや技術に頼るのではなく、ありのままを撮る。それはロケーション撮影のこともそうだろうし、住民たちの実生活をそのまま撮るということでもある。撮影したいと願い出た監督はどうやらカサヴェテスを一番の監督と信じているようだから」  スティーブンには映画をそんなに真面目に見ようとは思ったことがない。今聞いた話もよく分からないがクラウスの熱弁に圧された。結局、スティーブンはカサヴェテスとゴダールのDVDを受け取り帰ってきた。  あの男やもめのために何で自分がこんなのを見るのだろう、と思ったがクラウスのことだからきっと感想を聞きにくるだろう。彼にインターネットで見た嘘の感想を話すのは申し訳なかった。仕事をやりながら適当に見てみるか、とレコーダーに入れてみる。映画のタイトルは「フェイシズ」と言った。内容は白人と、肌が黒くない黒人の女性との恋愛である。クラウスが差別という言葉を使ったように、彼女の兄が黒人であると知って、男は彼女と別れようとする話である。肌の色で人を判断していること、差別は口にしないもののその表情で確実にわかるということ。見ていて心が重くなるような映画だった。確かに今まで観た映画よりは編集が雑にも見えたがセット撮影による恣意的なカメラの配置も出来ないロケーション撮影というのはこんな編集がメインになるのだろうな、と思って見ていた。  翌日、スティーブンはクラウスを見つけるとつかつかと近寄りその両肩を掴んだ。 「どうしたスティーブン」 「やっっっばいな、あれ!!」  スティーブンは映画に対する気持ちをそんな言葉でしか表現出来なかった。それが悔しくもあり、また、映画を知らない自分にもあんなに強く訴えかける映画が存在するのだと思った。単純なストーリーだけではなく、カメラによる仕掛けであったり俳優たちの演技による強い美意識をスティーブンは感じ取っていた。  クラウスはスティーブンの映画の感想を聞きながら映画の見所やカメラの話などを詳しく話した。切り返しや長回しという古典的撮影方法だったり、ショットの種類であったりと色々なことを聞いた。今夜はゴダールを見るよ、と笑うスティーブンにクラウスは「彼の長回しは特徴的なんだ、ぜひ楽しんでくれ」と声をかけた。スティーブンは仕事をかき集めるとさっさと家に帰ってきた。家政婦のヴェデッドに「お早いですね」と驚かれたが、映画が見たかったんだと素直に話した。彼女はゴダールという名前も知らなかったがスティーブンのはしゃいだ声に「ポップコーンでも作りましょうか」と聞いてくれる。 「いや、それよりもなにか摘めるサンドウィッチがいい」 「分かりました」  ヴェデッドはスティーブンが言いたいことが分かったのか、しっとりとマーガリンをつけてツナとコーンを挟んだもの、ベリーソースとヨーグルト、こだまパンプキンとマヨネーズを和えたものでサンドウィッチを作ってくれた。音が気にならないように配慮されたそれらにスティーブンは「ありがとう!」と明るく返事をしてDVDを準備した。  ゴダールの映画のタイトルは「勝手にしやがれ」だった。内容はフランス人の男と、アメリカ人の女の恋愛逃走劇である。ロケーション撮影によって反射された光の加減も気にしない長回しが特徴的だった。スティーブンが調べたところによるとこの長回しはゴダールが考えたものではなく、日本のケンジ・ミゾグチという映画監督の手法を取り入れたということらしい。きっとそこからも更に遡れるのだろうが、日本語についてはまだ勉強中であるためスティーブンはまた今度にしよう、と思った。フランス語は幸いにも分かるため男のセリフは字幕がなくても聞き取れた。クラウスから聞かされたところによるとヌーヴェルヴァーグというとロケーション撮影やリアリズムが有名だが、この映画群から「自国の言葉ではないセリフを話すキャラクター」の魅力を伝えてくれるようになったらしい。  例えばゴダールはこのアメリカ女を出し、ロジエはイタリア男を出した。どちらもフランス人と比べればテンプレートとして描かれてはいるが、映画の中で異国の言葉を喋るキャラクターはそれまで見なかったものだったのだ。その新鮮さというものは、一体どれほどのものだったのだろう。スティーブンは映画を見終わった感傷にひたり目を閉じた。ヘルサレムズロットでの映画は一体どんなものになるのだろう。きっとクラウスはここに来ている映画監督も知っているのだろう。そうじゃなかったらこんな特殊な二人の映画を見せるはずはない。  翌日、クラウスを捕まえて「今度はヘルサレムズロットに来る監督について教えてくれるか」と聞いた。 「……彼に関してはあまり情報は出ていないのだが、それでもいいだろうか」 「勿論」  それを前提として話を聞くつもりである。生きているものが自分の価値観を変えることなど普通にある話だ。もしかしたら監督はその趣向を変えるかもしれないし、変えないのかもしれない。だが、変える/変えないという話はその変化の前を知らないと気づけない。スティーブンはどんな人があの男を撮影するんだろうかとそれが気になっていた。 「……。カサヴェテスとゴダールの話をしたのは、彼がこのヘルサレムズロットに来る前から尊敬する監督としてゴダールとトリュフォーを上げていたからだ」 「トリュフォーってのも、フランス映画だよな」 「ああ。嫉妬が表に出ない三角関係の映画で有名だろう」 「うん、それぐらいだったら……僕も知ってる」 「だが、勿論映画監督というものはそれまでの美学から抜け出て自分なりの美学を持つことが大事だ。この場合でいえば八〇年代、九〇年代、二〇〇〇年代と3つの美学を踏まえて映画を撮影することになる」 「そうなるのか」 「そうなる。誰もが新人監督として作品を撮る時に自分なりに目指す方向を決めて作品を打ち出し、評価されるに至る。その時にどんな監督を師事してもよい。作品を見て考えることは誰もができることだからだ」 「今度の監督は、どうするだろうね」 「判らないな。あの監督はエンターテイメントとして出すつもりはないだろう。娯楽として提供するに終わらないと思うのだが」  スティーブンは教養としての映画なんてつまらないだろうと思っている人種だ。他人にかっこよく見られるから見ているだけ。カメラの動きだとか役者の人種だとか(今では人種という言葉も古臭いのだけれど)気にしたことがなかったのだ。そしてクラウスのその予想は大当たりした。  ヘルサレムズロットで撮られた一作目のタイトルは「ラ・メール」。フランス語で海である。一時間半で終わった。映画といえば2時間前後を想定していたのでチケットを購入した時の終了時刻わ見てやけに早く終わるなあと思った。  話の内容はヘルサレムズロットの中で水に包まれて生きる謎の生命体の話だった。これをあの男が演じている。これが現実世界ならば迫害などもあるだろうが、ここはヘルサレムズロット。その生命体は自分がここにいるのも当たり前のように生きていた。  女性と知り合い、男と話し、災難に巻き込まれる。彼はその時々に大声でげらげらと笑った。おかしくてたまらないと笑う彼を見て恋人や友人も笑った。その光景は昔に流行った青春とはあまりにも違いすぎた。むしろ異様なものとして撮られていた。主人公は結局自分がヘルサレムズロットに当たり前にいることに慣れなかった。 「僕は狂ってない」  その悲しげな言葉と共に彼は海に消えた。そしてエンドロールが流れた。  映画を一緒に見たクラウスは「不思議な映画」と評した。 「あれは万人受けする映画ではないだろうな」 「そりゃあそうだろうけど……」 「君は気づいたか?」 「何がだよ?」 「あの映画、笑っているシーンで口元が映されなかったようだ」  ええ? と変な声を出してしまった。クラウスがそう言うのならそうなのかもしれない。思い返してみると確かにロングショットだったり横移動するカメラだったりとその口をちゃんと見ていなかったかもしれない。それが、どういう意味なのだろうか。本当はもう一度見に行きたかったがそんな何度も映画館には行けない。DVDになるのを待ちながらライブラの仕事をこなした。そんなある日のことだった。 「は、ま、待てよ」 「どうしたスティーブン」  スティーブンは机に突っ伏して唸り声を上げた。KKが気味悪いわね、と言葉を投げてくるがスティーブンには打ち返す元気もない。 「舞台…挨拶をヘルサレムズロットでもやってくれるって…!!」 「ああ、今あなたが熱上げてる俳優さんのやつね?」 「良かったじゃないか、休みを取るかね?」 「いや! この前映画見に行くのも無理やり行ったんだからケジメはつけるよ、行かない」  本当は世界の安寧なんかよりも彼に会いたかった。彼に会って話を聞いてみたかった。  だがスティーブンの仕事はそれを許してくれない。自分の幸せを消費してでも守らなければならない世界があるのだ。この世界が壊れたら彼はまた映画の仕事を探す日々が始まってしまう。自分のせいで彼の幸せを壊す光景はもう見たくなかった。  KKは普段から子どもたちと触れ合えないことを根に持っているためスティーブンのことをここぞとばかりに茶化したがその憂鬱な顔を見てすぐに止めた。あの俳優の名前をつぶやく彼はまるで恋をした男だった。ままならない恋を、彼はしてしまったのだろうか。  KKは理解のある主人を得られたが、本当に運が良かったと思っている。自分はとてつもない幸運を掴んだのだ。何だかしんみりとした気持ちになってKKはメールを開いた。家に帰ったら沢山話をしようと思った。  スティーブンが舞台挨拶に行かなかった日は結局何事もなく終わった。普段通りの喧騒はあったものの、堕落王が何かけしかけることも犯罪組織の摘発もなく、書類仕事をして終わったのだ。最後の1枚にサインし終えてスティーブンは「あーあ」と天井を見上げた。こんな日に限って何も無いなんて神様ってのは残酷だ。何か事件があればスティーブンにも諦めが着いたし、あの男の舞台挨拶を守れたという自負も生まれたかもしれない。でも現実は何も無く、ネットを見る限り舞台挨拶も無事に終わったようである。スティーブンの人生は劇的だ。でも、この恋心は何の発展もなくただ大人しく殺されるのみらしい。映画のような奇跡は起きてくれない。  スティーブンはやはり彼の情報を追いかけていたが映画館に行くことは最初の一度で終わりにした。彼はあの監督に気に入られたのか二作目、三作目と着実にキャリアを作っていった。時たまヘルサレムズロットを出てハリウッドだなんだと映画に出ているのも知っている。そしてそこで共演女優と結婚したということも知っている。スティーブンはかなりショックを受けたが彼は自分のことを知らないし、映画俳優ってすぐ結婚するよ、仕方ない、と自分のことを慰めた。  彼の出演作のDVDとパンフレットは必ず手に入れていた。こんな場所にいるからなのか、彼が普通の人になって普通の生活をしていると見ているこちらも笑顔になれた。  映画なんて言うものはフィクションだ。それが現実世界とどれだけ肉薄していても違うものだ。  分かってはいるが、それを通してでしか彼を見られないスティーブンにはそんな映画たちが何よりの宝物だった。  レオナルド・ウォッチという神々の義眼保有者がライブラに加入したその年に、男は離婚することと、ヘルサレムズロットに永住することを発表した。金はあるだろうがそこまでして永住したいものだろうか。スティーブンはずっと疑問を持っていたが彼は発表後少しだけトークショーに呼ばれたあとヘルサレムズロットに舞い戻ってきたのだった。今度は俳優として、自分の居場所をたずさえての来訪だった。  この時にはもう彼は相当有名になっていたので、レオナルドやザップ、ツェッドもへぇーっとテレビニュースを見ていた。 「この人ってデビュー作をヘルサレムズロットで撮ったんすよねぇ」 「あー、らしいな。アイリーンから聞いた」 「ヘルサレムズロットで映画を撮るなんてヒューマンもいるんですね」  あの三人が彼について会話する日もあるんだなあ、と思いながら聞いていた。三人はそのまま今公開されている映画について語り始める。ネット環境が整っていれば今はどこでも映画が見られるからその話だろう。  彼らがわちゃわちゃと他の話をしている間にも、ニュースではヘルサレムズロットに移住することの危険性や、彼へのインタビューを流していた。役に入っていない彼はこの前の映画出演で刈り上げた髪の毛を触りながら「お恥ずかしいことに、こんな大事になってしまいましたね」と笑っていた。 「俺は人生の半分をヘルサレムズロットで過ごしました。好奇心旺盛にここへ来た父に連れられてほんの小さい時からそこにいました。俺はそのまま成長して仕事について、一人目の奥さんと結婚して、のんびりしていました。でも、ある日事故で仕事も妻も同僚たちも全員失いました。あの時の絶望と言ったらなかったです。その絶望でも生きなきゃ、と思いました。それをアロウラー監督に拾われて今に至ります。監督がヘルサレムズロットで映画を撮るって言い出さなかったら俺はここに立ってないでしょうね」 「今回、そのヘルサレムズロットに帰ると決断した理由とは何でしょうか」 「俳優としての原点に立ち返りたかったのと、俺の居場所はやっぱりヘルサレムズロットなのかなあと思ったんです。あそこは本当に頭がおかしい! それは認めます。でも、それが俺には丁度いいのかもしれません」 「俳優業はまだ続ける予定とのことでしたが、またヘルサレムズロットで撮影ということも……?」 「アロウラー監督と話してたんだけど、ヘルサレムズロットでの撮影ってすごくお金がかかるしスポンサーは嫌がるんです。でも、世界で何が起きているのかって行かないと分からないと思う。もし、ニュース番組とかでヘルサレムズロットが危険視され続けるならインディペンデントにしてでも撮影したいと思っています。スタジオによってはOKを出してくれるところもあるかもしれなくて」 「それはおめでたい! 新作、楽しみにしていますね」 「ありがとう」  インタビューが終わった。ザップたちは新作ゲームの話をしてソファーで騒いでいた。せっかく喋ってたんだぞ、と思う気持ちとあいつらは普段からそうだもんなという諦めがある。スティーブンは彼がここに住むからというその一点で気を引き締めなければならない、と思った。危うく思い出されたあの憧れる淡い思いをスティーブンは握りつぶしたのだった。  そうして半月がすぎた頃。新作映画は珍しくホラーに寄っていき、ヘルサレムズロットのクリーチャーたちの活躍もニュースで賑わっていた頃に、レオナルドはふっふっふっ、と自慢げに扉を開けて入ってきた。 「どうかしたのレオ?」 「チェインさん! 聞いてください、実は俺が今働いてるダイナーにあの映画俳優さんが常連になったんですよ!」  ヘルサレムズロットでの映画俳優といえば彼だった。彼しかいない。チェインは「あのクリーチャー役の彼?」と聞いている。 「そっす、あの人っす」 「へぇー、すごいわね。ていうか本当に住んでたんだ。てっきりもう逃げたのかと思ってた」 「みたいっすね。たまに先輩と話してるの聞いてると、頑張って生きてるみたいですよ。それなりにヒューマン以外にも人気が取れてるんだとか」 「なあ、それってレリジオ・アウロラー監督のとこの彼かい?」 「え、スティーブンさん詳しいっすね」 「あ、ああ……実はファンなんだよ」  チェインとレオナルドの感心した声が重なる。なんだか恥ずかしかったが本当にそうなんだから仕方ない。 「あ、でもサインとかは店の方針で禁止されてて」 「やっぱりか……。まあそれは仕方がないな」 「あ、本人はサインとかするのはいいんですよ。店にサインの表紙置いても盗まれたり壊れたりしちゃうからって……」  うちの部屋に置いておけば絶対に盗まれないが!? と叫びそうになったが我慢した。ここでレオナルドに呆れられたら彼への道が一歩遠のいてしまう。 「なるほどね……。確かにヘルサレムズロットじゃあ普通の色紙なんか置いといたらすぐになくなるな」 「そういうわけで、希望者だけはサインを書いて家に持ち帰ってOKになりました」 「はぁ!? ずるくいなかそれ」  スティーブンは珍しく食いつくように返事をした。さっき自分が考えていたことを店員には許されているなんて! レオナルドはへへへ、と照れたように笑ったあと「最近仲良いんでもしかしたらサイン貰えるかもしれませんよ」といった。 「まじでか、頼む」  スティーブンは少年に色紙を渡すことに恥もなかった。とにかくあの男のサインが欲しかった。後日、レオナルドからぐしゃぐしゃになった色紙を渡された。ザップさんのカツアゲにあいまして……と報告してくれたレオナルドにサンドウィッチを買うように伝えて(ついでに釣り銭は彼にあげて)ザップを凍らせた。「冤罪れす……」という気の抜けた声が聞こえたがどうせ嘘だろう。大事な色紙をこんなふうにさせた罰だ。  色紙は少し汚れていたが十分読めた。スティーブンさんへ、と書かれた色紙にはサインと彼がいつも使っているキャラクターが書かれていた。シャツとサスペンダーのそのキャラクターは昔みた彼にそっくりだった。  ヘルサレムズロットでの撮影は難航するものの、いつも楽しそうだった。ここで過ごす以上、やはりと言うべきか秘密結社ライブラの話は彼らの耳にも届いたらしい。アメコミのヒーローではないが、ライブラをモデルにしたヒーロー映画もいつか撮りたいとアウローラ監督が話していた。クラウスはスティーブンの方を見て迷っていたが「拒否しよう、うちはそんなふうに映画にされたら困ることが多いよ」と言ったら「その通りだな」と頷いた。  気にならないと言ったら嘘になる。彼が自分たちを描くところは見てみたかった。しかし、映画を撮影するということは彼らに危険が及ぶことに繋がるということもスティーブンはよく分かっていた。  ひとり、辛くなると公園のベンチに行きたくなる。ベンチでただただ何かを見ているとき自分の心はどこか落ち着いた場所へと沈んでいくのだ。  その日は、先客がいた。スティーブンの定位置にひとりの男が座っていた。白いシャツに赤いサスペンダー。まさか彼が? じっと目をこらすとそこにいたのは彼ではなかった。彼よりも少し年下らしい男だった。男はスティーブンに気づくとよたよたと近寄ってきた。 「スカーフェイスさん。あなたにこれを渡してくれって」 「え? 誰が?」 「この服を見たら分かるだろうからって。おれ、サスペンダー預かったんだよね」  彼だ。でも一体なぜ? 男は「じゃあな、渡したからな」と立ち去ってしまった。怖がりながらも受け取った封筒を開いた。そこには「いつもベンチに座るスカーフェイスさまへ」という言葉から始まったラブレターが入っていた。文面にはどこにも愛や好きや恋という単語は入っていない。しかし、スティーブンにはそれがラブレターのように思えた。読みながらぼたぼたと涙が溢れていた。彼の生きている世界を守るためには彼には会えない。それでも、彼が自分を見つけてくれたことが何よりも嬉しかった。 わたしのことなどもうお忘れかもしれません。 わたしはあなたが誑かした女の旦那だった男です。まあ、形だけの立場でしたが。彼女の愛人だったはずのあなたに、(一方的にですが)再会できて本当によかったと思います。 わたしは今、俳優をしています。それなりに名前は有名ではないかと思います。わたしは今、サインをねだられるくらいの立場になりました。 ヘルサレムズロットで初めて映画を撮影するときに、外を歩いていたらベンチに座るあなたを見ました。あなたが生きていたことが嬉しかった。しかし、ただ呆然とベンチに座るあなたを見てわたしはどうにかその表情を変えられないかと思いました。なにせ、あなたと来たら後ろで爆発音が聞こえているのにそんなふうにしていたので。これは本気で戦わないと、と思ったのです。 わたしは今、ヘルサレムズロットではかなり有名な映画俳優になったと思います。この前も色紙にサインをしました。スティーブンへ、と文言をつけて。そのとき、ダイナーで暴動があり色紙に大きな折り目をつけてしまった。バイトの少年は「これでも大丈夫だと思います!」と言っていたけれど、わたしは本当はもう一枚用意して後日彼に渡すつもりでした。色紙を買って家に戻った時、ベンチに座るあなたがあの色紙を持って大切そうに胸に抱いているのを見ました。あなたのあの顔が変わっていることにわたしは大変驚きそれと同時になんだか心からわらえるようになりました。 わたしのファンでいてくれてありがとう。俳優としてのわたしより ティムと名乗っていたスカーフェイス もといスティーブンへ