ホストと恩人様

 世の中はクソだ。女性が全てだ。俺達のような雑魚は大人しく過ごすしかない。スクールカーストも微妙なところにいた自分は何とかここまで生きてきたがそれも今日までだろう。目の前で起きているよくわからない喧嘩を見ながらそんなことを思った。 いわゆるカツアゲに合いそうになったと思ったら姉から電話がきて火に油を注ぎ、なぜか助けに?出てきた青年が「この人のお金は俺が狙ってたんだよ!」と言ってきた。  すごい、俺の財布には今二千円しか入ってないのにめちゃくちゃ狙われている。姉から直々に渡された金だからか。プレミアでもついてるんだろうか。姉のファンが世の中に二人もいたんだろうか。  カツアゲをしてきた人と青年とが喧嘩し続けている。俺はそれぼけっと待っていたらいつしか勝手に収まった。後出しの青年がマイクを取り出したのだ。そこでようやく気づいたが彼は声こそとても若いものの青年と呼べるほど若くもなかった。  慌てて耳をふさぐもすでに遅し。俺はなぜか彼のマイクの被害を受けていた。やっぱり彼は自分を助けに来たと言うよりも金を狙っての所業だったのだろう。  理不尽に叱られて残業をして帰ってきているのになぜか今日の苦労を超える苦しさを覚えた。乗り物酔いでもしたかのようにふらふらとする頭はそのまま胃の中のモノを押し出した。必死に口の中に押さえてトイレを探した。  駅は遠い。公園もない。コンビニか。我慢できるだろうか、いやしなければならない。「あ、おい! ちょ、ちょっと待って!」 話しかけられているが答えることはできない。膨らませた頬には気持ち悪い吐しゃ物が詰まっている。引っ張られた腕に申し訳なさを覚えながらも振り払い来た道を戻った。結局人がいるコンビニよりも、と駅を目指した。  駅の外にあるトイレは混んでないがあまり綺麗とは言い難い。げーげーと吐きながら汚い床を見ていた。トイレットペーパーで口を拭う。水を流し個室から出るとさっきの男がいた。  ホラー映画か何かかと思った。もじもじとしている男は何か持っている。さっきカツアゲされたと思った時に鞄から出していた財布だった。カード類が入っていたので助かったが、さっきの男は俺の金を狙っていると言っていた。もしやコイツに慰謝料的な何かを請求されるんだろうか。固まった俺は間抜けな顔をしている。男はまだもじもじとしているので先に手を洗うことにした。汚い。 「……手ぇ、洗ってからお話を聞いても大丈夫でしょうか」 「あ、っはい! だいじょぶです!!」  すごい、声が大きい。元気なお兄さんだと思いながらハンカチを出して手を洗った。うがいをして口をすすぐ。深呼吸して振り向くと男は顔を真っ赤にしていた。  俺の財布を洗面台の上にそっと置いて「あ、あ、ありがとうございましたあああ!!!」と叫んでトイレを出ていってしまう。何が起きたのか俺が一番分からなかった。  財布から何か取られたのかと見てみると金が増えていた。怖すぎて封筒に入れて神棚に飾っておくことに決めた。  家に帰ると姉が家にいたらしく手紙が置いてあった。良い人ではあるがやることは天然なのでちょっと怖い。ドキドキして手紙を開くと達筆な字でこんなことが書いてあった。  #名前2#くんへ 私はあまり知らなくてこの前お話を聞かせてもらったのだけれど、男の人同士はとても大変だそうですよ。だから、#名前2#くんがしっかりと手伝ってあげてください。いいですか? 自分は関係ないーと思ってはいけませんよ。そうそう、この前欲しいと言っていたスニーカー、あまり評判が良くないそうなので買うのは遠慮した方がいいと思うわ。 追伸。愛してる。(これ一度やってみたかったの。)  前半が全くよくわからないが後半は分かった。俺の好きなスニーカーの話よりも姉はそろそろ姉弟間の距離感を学んでほしい所だが俺の立場から何か言うわけにもいくまい。手紙と共にある封筒にはまた彼女が懇切丁寧に差し込んだ金がある。男からもらった金も一緒に折り畳み差し込んだ。金のありかが分からなくなったりしないように。それは神棚に飾っておくことにした。  飯を食べ、風呂に入りアプリのプロフィールを更新した。疲れているときなのにどうしてもSNSを見てしまうのはなぜなのか。タイムラインを追いかけながら、プロフィールに設定していた音楽をビートルズのPS. I Love Youに変えた。 すぐに父からメッセージが届いた。 どうした、お前がビートルズを聞くなんて   俺はふふっと笑って返してやった。 どっかの誰かさんがビートルズにハマったっていうからさ。 一二三が帰ってきて早々うざい。 早口で弾丸のように浴びせられた言葉から察するに、運命の人であるDさんのことを助けちゃったしお話しちゃったし貢いでしまったらしい。 貢ぐってなんだよ。俺の頭がおかしくなったのかと思ったが一二三は順を追って話してくれた。  まずDさんがカツアゲに合いそうになっていたらしい。そこに助けに入った一二三。助けに行ったけれどDさんはトイレへと駆け込んでしまった。たぶん吐き気があった。落とし物の財布に慰謝料のお金を入れて返しに行ったがトイレでの彼を見て高まりすぎて帰ってきたらしい。会話って何だろうな。 「Dさん、名前まで分かっちゃったよ…! #名前1##名前2#だって! はぁー、名前呼ぶのもしんど、心がいたい……」 「……財布ん中、のぞいたのか」 「不可抗力!! もし見失ったら家に届けなきゃって思ったから!!!」  なぜ交番に届ける考えが思い浮かばないのか。恋とはどうしてこうにも盲目である。 一二三がDさんに会ったのは随分と昔の話だ。まだホストのナンバーワンを目指している時に酔いすぎて道端でうずくまっている一二三をDさんが助けてくれた。小説、映画、漫画で何回も見た展開だし、一二三はこんなのは夢だと思って冷たく突き放したらしい。それでもDさんは助けてくれた、と。詳しいことを語ると長くなる。要はDさん、もとい#名前1#さんに一二三は助けてもらったのだ。 「もう、ほんっとあの時の俺を殴りたいよー。#名前2#さんに何て口調なんだよ、ほんっとバカ―! 俺の印象最悪じゃんー!!」 自業自得だと思う。かっこよく人を助けてくれた#名前1#さんは一二三にハンカチとスポドリとゼリー、現金を渡した。「あまりにも良い人すぎるのでは?」と俺も思った。何か裏があるのでは、と。だが一二三に何か起こることもなくバトルにも無関係であの人はただのいい人だったと分かったのだ。  一二三はあの後とても後悔していたのだが名前も聞いていないのでどうしようもない。似顔絵職人と探偵を使って金に物を言わそうかと本気で考えていた時それが解決された。以外にも、ホストという職業が功を奏したのである。 一二三のを指名をした女性はホストを金で買える話し相手と思っていたらしく自分の弟について語っていた。ちなみにこの女性、中央区の女どもと渡り合うのか何なのか影響力のでかいお家柄の一人娘らしい。一二三の店もでかいパイプを手放すわけにはいかず、一二三を指名されたらすぐさま差し出したらしかった。 会話の中で見せてもらった写真にはあの恩人の姿があったらしい。楽しそうに話す彼女曰く、母が外に作った異父弟。会うことを禁止されているがいつか絶対に会うということ。良家の箱入りお嬢様は一二三に語るだけ語って満足したらしい。 そのあともリピートして店に来るようになったものの、一二三よりも別の男が聞き上手だと言ってそちらに流れてしまったそうだ。。ナンバーワンでヘルプにも行けない一二三はその日泣きながらベッドにいた。ハンカチを持ってトイレへこもっていることは知らないふりをしてやった。  一二三は名前を知った記念日としてカレンダーと手帳に書き込む。Dさんというよくわからない人は#名前1##名前2#という形ある人間になったのだから、ある意味ではめでたいのかもしれない。一二三がこれから探偵を雇って個人情報を調べ上げることがないように俺は願っておくことにした。 翌日、出社してからふと気づいた。今の受付の人、#名前1#って言わなかったか? よくある名前、ではあるだろう。観音坂よりはよくある名前だ。昨日聞いたばかりだから考えすぎだろうか。一二三から話を聞いても顔を見たことはない。そもそもアイツは写真も持ってない。ただようやく#名前1##名前2#という名前を知ったのだ。 「おはようございます」 「おはようございます!!!」 受付が一オクターブ高いんじゃないか?という声で挨拶している。後ろを振り向くとスーツをぱりっと着こなす男がいた。いらつく。なんだその体は。鍛えてるっていうのか、うるせーこちとら社畜やってんだよ。同じリクルートスーツのはずなのに。ガン見してしまったせいで向こうもこっちに気づいたらしい。ちょっと会釈してきた。 「おはようございます」 無駄に爽やかでもない。普通だった。 「おはよう、ございます」 返事をするのもかすれた声になってしまった。朝からそんな意識して声なんか出さないからだ。男はちょっと俺を見て鞄のポケットをあさる。 「のど飴、いりますか?」 「え?」 「あ、すみません」 「い、いえ。いただきます」 差し出されたのははちみつとキンカンのあれだ。男は「この味しか持ってなくて」と笑うが、そんなことはどうでもいい。たかが会っただけの所属も違う男になんでこんなに優しくするんだ。ふと、首に提げる名札を見ると#名前1##名前2#とある。………。は??? 「エレベーター、混む前に急ぎましょうか」 「え、あ、はい」 受付が後ろで何かひそひそとささやいている。先生のもとでラップバトルに参加するようになってから少しは耳がよくなったと思う。「#名前2#さんかっこいいね」とそんなことを言っていた。受付は男。綺麗な顔して小柄でも男。それが隣にいる男にキャアキャア騒いでいる。意味が分からない。一二三のことも含めて、意味がわからない。ちらりと隣を見ると#名前1#さんは苦笑いだった。この男は分かっててわざと矢面にいるんだろうか。 「エレベーター、行きましょうか」 もう一度声で背中を押された。さっきまでのイライラはどこかに行っている。この人について、俺もまた知りたくなった。  独歩は#名前2#の顔を知った、職場も知った。しかし、話しかける機会を伺ったがなかなかに難しかった。何せ仕事が終わらない。一二三のために何かしてあげようかと思っていたのだがそんな気持ちはとうに失せた。今は仕事を終わらせることが最善だ、と働き続けようやく会社を出た頃。外にちょうど#名前2#がいた。独歩は驚きのあまり「あぁ?」と変な声をあげるくらいには予想外だった。彼がなぜそこにいたのかは独歩には関係ない。とにかく話しかけなければという思いだった。 「あのぉ、」 「? どうも」 「えっと、朝に飴を頂いたんですけど……」 情けない会話だと思った。恥ずかしさが溢れる。やっぱりこんなの自分に合わないんじゃないかと思ったが話しかけてしまったのは仕方ない。向こうは少し考えたあと「ああ朝の」と思い出したようだった。 「お礼になにか奢れればと」 「いえいえ、自己満足ですから」 「でも、」 「お互い辛いご時世ですから。今日のところは早く帰りましょう?」 そう言って彼はお仕事お疲れ様です、とカバンから個包装されたバウムクーヘンを渡してくれた。口がパサパサするんだよなあと思うよりも「えっ優しい」という気持ちが勝った。「あり、がとうございます」 いい人だ。本当にいい人だ。独歩はバウムクーヘンをベンチに座って食べながらちょっとだけ涙した。 「#名前2#さんって、なんだか用意周到ですよね……。俺なんか、いつもミスってばかりで要領悪いとか叱られちゃうのに……」  ついポロリと出てしまったのは愚痴だった。やばい。仲良くもない男にこんな話を聞かせてしまった。慌てて何かフォローしようと思ったが言葉が出てこない。あああ、俺の馬鹿野郎! 独歩は焦って#名前2#のことを見たが、彼は独歩のことをあっけにとられた表情で見つめていた。 「あの、#名前2#さん?」 「あ、ああ……すみません。まさか、そんなことを言われるとは思ってもみなかったので」  彼は心底驚いたような顔をしていた。 ――いやいや、こんだけ人に優しくできてて、褒めたらそんな顔するの? ギャップ萌えでも狙ってんの? 俺たち、いい歳した大人だよ?  独歩は心の中でそう呟いていたものの、#名前2#の顔を忘れられないだろうなと思った。 「#名前2#さん、もっと自分に自信もっていいと思うんすけどね」 「ははは、ありがとうございます」  いや、「ははは」じゃねーんだっての。  物心ついた時には#名前2#は姉に従わなければならない立場にあった。優しい姉は#名前2#のために未来のレールを作ってくれた。#名前2#が知らない人を助けるのも先祖に感謝するのもみな、姉が#名前2#に「こうあるべき」と見本を見せてくれたからだった。 会ったこともない姉になぜそんなにも盲信できていたのか父親は不思議がっていた。しかし#名前2#にとって姉は秩序の一部だったのである。  中学生の頃、同級生の女の子にこんなことを言われた。そもそも、その時の彼女はいわゆる中二病と呼ばれるものにハマっていて、しかも彼女は悪魔などの類ではなく倫理にハマっていたのだ。#名前2#に対してカントのなんちゃら批判を長々と諳んじて「あんたには自律の自由がないのよ」と締めくくった。#名前2#はその後をよく覚えていない。彼女にその後頬を叩かれて問題になったということだけ頭にある。彼女を怒らせたから悪い、と生徒たちの中では嫌われていた問題の教師に言われて子どもながらに姉も人を叩いたことがあるとしたら姉が正しくて相手が悪くてつまりは姉がやはり世界で一番正しいということなのだろうか、と思っていた。  ある日のこと。姉から人を殴ったという連絡が来た。#名前2#はふとそんなことを思い出した。姉という正義が執行されたのだ、と思った。 「誰を殴ったの、姉さん」 「……。ホスト」 「ん?」 「ホストなの」 「………」  姉は店の名前と男の名前を教えてくれた。伊弉冉一二三という大層な苗字に#名前2#はため息をついた。ひとまずインターネットで検索する。ホストの店はきちんとホームページを作っていて顔写真が上げられていた。一二三という名前の彼は綺麗な金髪だった。彼を姉が殴った。その事実が少しおかしかった。 「伊弉冉一二三か」  観音坂独歩は自分の前にえぐえぐと情けなく泣いている幼なじみを見て本気で頭の心配をした。#名前2#さんという運命の人が独歩と同じ会社で働いてるからなんだと言うのか。彼とて税金に脅え、ブラック企業の仕事に辟易しているのである。独歩と同じ立場なのに。 いや、彼は人を助けられるという余裕とがあり自分はそれに助けられたわけだけど。しかしそんな事を言うと一二三は絶対に怒るに決まっている。 一二三にとって#名前2#さんは絶対なのだ。あの人は恩人様で、会えない時期は彼を持ち上げて持ち上げていつしか彼に会うために生きてるんじゃないかと言う日も出てきたのだ。そんな一二三よりも独歩の方が仲良くなりましたなんて言った暁にはさすがにマイクで戦う羽目になる。  一二三は泣きべその顔を擦り「はぁー、今日はダブルパンチだよ」と寂しそうに言う。まだ何かあるのかと聞けば、とある人に殴られたとのこと。 「それがちょっとやばい筋の人らしくて、こっちも出禁にしたいけど経営に関わってくるから困っててさ。俺っちも必要だけど向こうとも関わり消したくないってことで一旦俺の方が引っ込むことになったの」 「マジか、そんな大丈夫なのか」 「向こうも俺の方に悪いって気持ちはあるのか病院代って言ってかなーりのお金をぽんとくれたよ。お嬢様ってのは考えがちがうんだろうね」  一二三はそう言って頬をさするとうなり始めた。痛みに苦しむというよりは、言いたいことが言えなくて必死に思い出そうとするようなそんな声だった。 「独歩ちんはさ、先生と会った時のこと覚えてる?」 「あ? そりゃあな」  突然話の流れが変わったな、と思いながらも何も言わずに聞いてみることにした。 「俺はね、#名前2#さんと出会ったときにね、あの時の衝撃よりももっともっと大きいものを貰っちゃったの。俺にとってはあれが奇蹟ってやつなの」 「ふぅん……」 「俺を殴った人のことなんだけど、」 「ああ」 「平手打ち。佐助の気持ちがわかった」  突然話がそれたがそれすらも、谷崎の話か、と納得してしまった。とにかく先が聞きたくて一二三を見ていた。向こうは言いにくそうにもごもごと口を開いた。 「その人にね、言われたんだよね。弟が世話になったって」 「………」 「つまり?」 「#名前1#さん、でーす」  へらりと笑ったその瞳の奥は笑ってない。一体どんな会話をしたらのほほんとしたお嬢様から平手打ちなんか食らうのか。話を聞きたくても聞くのは怖かった。 「……」 「……」 「それで?」 「え?」 「それだけか?」 「うん、そうだよ」 「……」  このまま引き下がっていいのか独歩には分からなかった。一二三はこれ以上話す予定はないという表情だがその瞳の冷たさに気づいてしまったのだ。さっきの言葉とも合わせて何があるか察してしまった。 「……病院送りにはするなよ」  出てきたのはそんな言葉だった。一二三はきょとんと独歩を見ていたがふふっと笑いだした。 「まあねー、ちゃんと気をつけるってーー」 ――否定しないってことは、想定してるのが現実ってわけか。 独歩は自分の考えてる未来が現実に起きないことを祈るしか出来なかった。つまり、一二三が件の女性とトラブルを起こさないように願っている。失敗すれば一二三だけでなく麻天狼にも迷惑がかかるのである。 独歩は出社するとすぐに#名前1#のことを探した。何とか彼の姉について確信を得ようとしていた。だが、今日のような日に限って仕事が終わらない。#名前1#に会いに行くのは無理なんだろうかと少し泣きそうな気持ちでいた。 ――どうしようかな、一二三がいつまでも落ち着いていられるとも限らないもんなあ。 考えても終わるわけではない。今日はひとまず諦めても明日、明後日は頑張ろうとそんなことを思いながら残業の二文字に頭を抱えた。 「それじゃあ、観音坂さん。お先に失礼します」 「はぁい……」  また一人取り残されてしまう。うへぇ、これはいつになれば帰れるのだろうか。栄養ドリンクの効果も切れ始めた。おいおい、これ以上何をすればいいのだろうか。  俺は今何が起きたのかよく分からなかった。ホストの人に会いに行くか、と思ったら会社で見かけていた人に「俺がいるのに!」と突撃を受けた。マイクを向けられて体が固まってしまう。その一方的な言葉に俺はいつからこの人の恋人になったんだろうと疑問を持っていた。もう逃げることもできないし、このまま病院沙汰を覚悟していた……のだが。またあの金髪の変人の彼に助けられた。あ、とそこで俺はようやく気づいたのだが。彼は姉が殴ったというホストの伊弉冉一二三だった。 「あの、また助けてもらって……」 「へあっ、いや、あの。……ただの偶然っす、よ」  彼は照れたような苦々しいような何だか変な顔をしていた。お礼をしますよ、と手を差し出したら彼はびくびくしていたが俺の手をとった。お願いします、と笑った彼はなんだか不思議な人だなと思った。彼は本当に姉に殴られた男なのだろうか。どうしても気になってしまい、あのう、と声をかけた。伊弉冉さんはやっぱり緊張したように俺の顔を見る。まずい、これは、いけない気がした。 「すみません、お礼をしたいのでどこかファミレスにでも行きませんか」  なんでこの時ファミレスにしたかというとファミレスのクーポンがちょうどスマホの中にあったからである。伊弉冉さんが素直にうなずいてくれたからよかったものの、ここでファミレスを出すのは結構ダサいな、と向かう途中で思っていた。  もう夜である。人も少ないかと思ったが、自分が想像していたよりは人も多かった。案内された四人席に向かいになるように座ると彼は慣れた手つきで名刺を渡してくれた。 「あの! 俺、伊弉冉一二三っていいます」 「どうも……。俺は#名前1##名前2#です」  自己紹介もほどほどにメニューを開き、おごりますよと言うと彼はものすごい勢いで悩み始めた。結局ドリアになったのだが、スイーツなどは遠慮されたので俺の方だけ頼むことにした。  本物のホストに出会ったのは初めてだった。見かけることはあれど、こうやって対面で話し合う機会ができるなんて昔の俺には想像もできなかったところである。俺はここから姉についてどうやって聞けばいいのか分からなかった。姉の正しさは俺が一番知っている。けれど、彼はどう見ても間違った人間ではなかった。俺のことを守ってくれた人物なのである。 「……。あの、もしかしてなんですが。俺の姉が、ご迷惑をかけませんでしたか」 「っ。えっとー、それは……」 「あー、やっぱり同じ人なんですね」  ちょっと言いにくそうにしていたが、小さな声でうなずかれた。あのお、と声をかけると待ってください、と止められた。 「さっき、話してたっていうか、絡まれた男に見覚えはありますか?」 「いえ……社内で見かけるくらいでしたけど」  話したことはない思ったが向こうは俺のことをよく知っているようだった。伊弉冉さんはまた言いにくそうに口元に手を当てる。 「……あー、なるほど。もしかして、姉が何かしていたんでしょうか」 「!! 気づいていたんですか?」 「姉がよくやる手ってだけです。まあ、ちょっと疑問点もあったので……」  伊弉冉さんと初めて会ったときに姉から変な手紙があった。つまり、あの手紙で言われていたお相手は、今日俺を襲ったあの男だったってことだろう。ようやく解決した気分だ。でも、目の前のこの男はなぜ殴られたのだろうか。一個解決したと思ったらまた一個疑問が出てきた。いや、元からあった疑問か。 「……俺の働いてるところで、お姉さんは弟の恋人について話してました」 「はあ、恋人」 「話を聞いていたら、その、どうにも変だなって思って。ちょっと突っ込んだら、ビンタされたんですよね」  完全に姉が戦犯だった。俺に対して適当な恋人をあてがい、あまつさえ否定されたら姉が暴力をふるった。さすがの俺にも姉のやばさはわかる。 「うちの姉が、多大なるご迷惑を……」 「あ、いえ、大丈夫っすよ! こんなん、慣れっこなんで!」  慣れっこなのもどうかと思う。伊弉冉さんに何度も謝罪をした。ファミレスだけではいけなかった。後で何か詫びの品を送らないといけない。 「……本当に、いいんですよ。俺、ようやく恩返しできたので」 「恩返し?」 「すっげーー昔のことですけど。前に、#名前1#さんに助けてもらいました。道端でぐでんぐでんになって倒れてた俺にスポドリとか色々と買ってきてくれて。本当に嬉しかったんです」  そんなこと、したのだろうか。もはや日常茶飯事ともなっているような一つ一つを覚えてはいられない。それでも、この人のためになったと思うと嬉しい気持ちになった。 「あの、もし、よかったらなんですけど。連絡先、交換しませんか」 「え?」 「あああ、あの、勧誘とかじゃなくてですね!? 純粋に、そう、純粋に! お話したいなっていう!」  伊弉冉さんの勢いが良すぎて俺は吹き出してしまった。  家に帰って姉にテクストを送る。  伊弉冉さんはいい人だったよ。姉さん、見極めが甘かったね。  俺はもう昔のように純粋な操り人形でもないのだ。姉からは怒った顔をしたスタンプがたくさん送られてきたが、最後は「あの子は貴方の害悪にしかならなかったのね……」と納得して終わっていた。自分の非を認めずポジティブに話を考えていける姉はやはりすごい人である。金持ちっていうのは知識はあっても頭はよくないのだろうか。  #名前1##名前2#という名前。電話番号と、象の写真のアイコン。ふとインドに飛び立ったときに見に行って写真を撮ったらしい。知らなかったDさんのことが、あふれてる。適当な嘘をついてお姉さんの話からだましてしまったけど、#名前2#さんは気づかなかった。  最初の挨拶の一言はなんて送ればいいだろうか。とりあえず、一二三さんっていう名前呼びにしてほしいところだけど、まあ、謝罪し合った仲で突然「名前呼びがうれしいな」というのはキツすぎる。結構まずいと思う。 「ねーーねーー、どっぽちーん!! #名前2#さんとのデートどこにすればいいかな!」 「まずは向こうがデートと思ってないことを頭に置いとけ」  いや、それはわかってるけど。気合を入れたいってことだっての。