夢のほとりで倒れる君へ
Note
※この作品にはFate/GrandOrder 1.5部、2部のネタバレを含みます。
※ミステリー、シャーロック・ホームズシリーズについて話す場面がありますが貶す意図はございません。くまでも作品の一表現とお考え下さい。
2019年、夢本にいれてもらったものを再録
ダ・ヴィンチちゃんに辛いことを日記に書くといいよ、と教わった。真新しいノートを広げたら、新所長に渡すためと意気込んで書いていた報告書のことを思い出した。あれもまたベクトルの違う辛い気持ちだった。少しだけ、気分が楽になった。藤丸はとあるスタッフについて書こうと思い立った。 藤丸がよく覚えているのは彼がカルデアの中ではほとんど唯一と言う日本人だったことだ。そんなことを言うとこれから話をするスタッフがカルデアのだれそれか分かってしまうが藤丸は語らずにはいられなかった。この気持ちをどうやって言葉にしようか。電子辞書片手に初めから書いていくことにした。報告書として提出するわけでもない、ただ藤丸立香が彼らのことを記録しておきたいと思っただけである。 最初から話すとなるととても長くなるだろう。俺にとってはカルデアに来た初日からの付き合いだ。彼は同じ日本人ということで俺の面倒をよく見てくれた。サーヴァントが少ない時はよく日本食を作ってくれた。大雑把な味ではあったが彼の好意はとても嬉しかったし、気兼ねなく日本の話をして笑いあえるのが楽しかった。学校をサボってみたこと、文化祭ではしゃいでいたこと。彼に何でも話していた。 聞き上手の彼の趣味は小説を読むことだった。特にミステリーが好きで、彼に話をふると小一時間は推しの探偵の話をされる。スタッフたちはいつもそれをネタにしていた。彼曰く、スタッフたちはみんな閉鎖的空間の中で趣味がないとやってられないんだ、ということだった。俺に「あいつの趣味はプラモデル、あっちは絵を描くこと、あっちは――」と小さなことまで教えてくれた。その空間は俺にとってかけがえのないもので、戦いに挑む心を癒していたことは確かだった。 人理修復をした後のカルデアはつかの間の平穏しか得られなかった。亜種特異点を消すためにサーヴァントたちはまた動き始めた。それにいちいち対応するのはマスターの自分ではなくカルデアで働くスタッフのみんなだった。本当に大変な仕事だったと思う。途中から溶けたように作業していた彼らにとって朗報だったのは誰もが知っているキャラクターがカルデアに来たことだった。そう、あのシャーロック・ホームズがカルデアにやってきたのだ。昔、小説を読んでいたというスタッフは多く皆がどよめいていた。中でもあのミステリー狂いがどんな反応をするのか、ダ・ヴィンチちゃんでさえも気になっていた。勿論俺もその一人だったのだが、予想に反して彼は平然とシャーロック・ホームズを見ていた。彼はシャーロキアンではなかったが、ホームズものはオススメされた覚えがある。その表情を見た時自分は不思議に思っていた。今でもなんでそんな表情でいられたのかは分かっていない。 シャーロック・ホームズと言えばアーサーコナン・ドイルによって生み出された今も尚愛され続けるイギリスの名探偵である。助手のワトソンを引き連れて難事件を颯爽と解き明かす。宿敵モリアーティ教授と戦い死んだと思ったら生き返り、晩年は養蜂家として過ごしていた……とそんなことを聞かされていた。俺自身、「シャーロック・ホームズ」を読んだことはあるがかなり昔に少し読んだくらいでスタッフたちの話には混ざれなかった。ホームズはスタッフからの質問をのらりくらりと躱してカルデアに収まった。ロマンがいなくなってしんどかったのは俺だけじゃなくカルデアでずーっと一緒に居たスタッフたち、ダ・ヴィンチちゃんもで、ホームズという新しい風は気持ちを切り替えるいい話だったんだと思う。そう考えるとミステリー大好きでいつもタブレットでミステリーを読んでいる彼がホームズに興味を持たないのは不思議だった。やっぱりオススメされた時にきちんと読むべきだったかなあと思いながらも俺は新しい戦いに身を投じることとなった。 ホームズがカルデアに来てから、彼が「シャーロック・ホームズ」を読む姿を見なくなった。読んでいるのは例えばアガサ・クリスティであったり、エラリー・クイーンであったり、モーリス・ルブランであったり、G・K・チェスタトンといった古典的名作だった。このラインナップにコナン・ドイルが入らないのは不思議ですよね、とマシュも言っていた。俺は本をあんまり読んでないけれど、名前と代表作ぐらいは知っている。当時の俺はホームズがいる中で「シャーロック・ホームズ」を読むのは恥ずかしいのかな、と思っていた。 あれはいつの話だったかよく覚えていない。ネロ祭りでボロボロになって帰ってきた時だったかもしれない。レイシフトから帰ってきてみるとドン、と鈍い物音が聞こえた。サーヴァントの誰かの暴走かと思って急いで物音の鳴った方に駆け寄った。この部屋です、と呪腕のハサンに言われて飛び込んだ。彼の部屋だったと、入ってから気づいた。ホームズは彼の前で立ち尽くしていた。その時の光景を思い返すと立っていたという方が正しいかもしれない。でも、この場合は立ち尽くしていたのだ。彼は自分のことを了解するとふっとその緊張の糸をほどき、すまなかったと一言謝った。ホームズに向けてなのか俺に向けてなのかその時は分からなかった。目を伏せて、小さく言葉を漏らした姿は花がしぼんでしまったかのように寂れたものだった。 「いや、私も……すまない」 ホームズが謝るところを見たのはこれが初めてだったし、何か二人の間にあったのかと思った。ホームズはそのまま霊体化してしまった。どうしよう、と思ったけど呪腕のハサンが「私はホームズ氏を追いかけますから。魔術師殿は彼を、」と言ってくれたのでそのまま残ることにした。 「さっきは何の話してたんですか?」 彼に聞いてみるとひどくバツの悪そうな顔でこちらを見た。珍しい表情だった。愛用のタブレットを持っている手が赤くなっていた。彼がそうやって何かを殴るということは聞いたことなかった。意外だ、と思いながら話を聞こうとすると彼は「うーん」と唸ってしまう。何となく、なんとなくだがその顔を見られたことが嬉しくて笑ってしまった。何笑ってるんだ、と彼は拗ねた声を出す。自分よりも年上の彼が可愛いとは失礼だろうと思い、いいえと首を振った。彼はじっと俺を見たあとで「まあいいか」と頷いた。 「ホームズに、この本の粗探しをされたんだ」 「粗探し?」 「えーっと、藤丸はエラリー・クイーン読んだことあるんだっけか」 「ご、ごめんなさい……。まだです……」 「あ、いや、悪いとかじゃないんだ」 えーっとな、代表作は「Yの悲劇」って言うんだけど、このYっていう題名から意味があるんだよ、と彼は簡単にストーリーを説明してくれた。ここでは省略しておくけれど、ホームズはつまりはこの犯人に論理的な正しさを感じないということらしかった。聞いたときはあのホームズが?と思った。本をそこまで読んでいなくとも、カルデアに来た彼のことなら少しは分かっているつもりだ。変なことを言うなあ、とその時は思っていた。今にして思うと、これはホームズにとっては初めてのアプローチ、というものだったのかもしれない。その後もホームズが彼の元に行く姿を見かけた。彼の方も考えたのか、ちょっと知らないミステリーの作家の短編集だったり、アンソロジー的な物を読むようにしたらしい。でもホームズは名探偵なので彼の小細工もなんのその、すぐに犯人を言い当てて「ここが悪い」「ここがつまらない」と難癖をつけていた。あの姿を見るといつも何かに似ているな、と思ったけど今なら分かる。ワトソンのようにホームズは褒めてほしかったんだろう。それが……残念ながら彼には伝わらなかったみたいだけど。 「ミスター・立香」 「!? は、はい……」 あのホームズが壁からそっと顔をのぞかせている。その光景はずっと忘れることはないだろう。思わず俺も敬語になってしまった。ホームズはその、だね、となぜか歯切れの悪い言葉で俺を引き留めていた。 「日本人は、好いた相手にどんなアプローチをするんだろうか」 真面目な顔でそんなことを聞かれたのも俺はずっと忘れることがないだろう。 最近のことだ。ただのスタッフの俺の部屋に物が置かれるようになった。ある時は花。ある時はペン。またある時はお菓子だった。いつもついてくるカードには一言for youと筆記体で書かれているだけ。名前は書いてない。俺にプレゼントをくれるような人と言えばスタッフ仲間の数人と、マスターくんだ。マスターくんは筆記体を読めるようになったけど書けない人間だ。ならばスタッフの中にいるのかと思ったが全員集合の会議の後にも置かれたりしている。本当に、本当にあり得ないと思うのだが心の奥底でこのプレゼントをくれる人はサーヴァントではないかという考えを持っている。前に聞いたことがあるのだが、カードに名前を書かないのがイギリス流らしい。だがイギリス流だからといってサーヴァントの皆様の時代も考えると根拠にならない気がしてダメだった。 その日のプレゼントはネクタイだった。スタッフの制服にネクタイは使わない。いつか日本に戻れたら使おうと引き出しに閉まった。スタッフ用の部屋にはクローゼットはない。あるのはハンガーを掛けられる取っ手と引き出しのついた机。ほとんどのスタッフは一番下の大きな引き出しに下着をしまう。引っ掛け穴をつけた板を上からはめ込み上に靴下など毎日履き替えるものを入れる。この板はダ・ヴィンチにお金を払って器具を揃えれば開閉式にもできる。その上の引き出しには色々と個人的なものを揃えている。俺の場合は特に入れるものなど無かったのでずっと空っぽだったがそのカードさんのせいでかなり中身が詰まってきた。for youとしか書かれていないカードもである。 カードを綺麗に残すため名刺ケースという100円ながら優秀な収納道具を買うことにした。同僚がニヤニヤとして「なんだよ、何か買ったのか」と近づいてきた。スタッフが、特に俺が何かを買うのはあまりない。そのせいか、いじれる物ならいじってやろうという気持ちが丸見えだった。特にこいつは普段からゲームだとか大人向けのDVDだとかを買うこともあったので俺が何を買うのか気になったのだろう。自分と同じものを買うのか、それとももっと別なものを買っているのか。あいにくと俺はこいつの期待には応えられない返事をする。 「ただの名刺ホルダーだよ」 「ホルダー? ケースだろ」 「どっちでもいいだろ」 自分でも言い間違えたと思ったが訂正するのも恥ずかしく、わざと尖った言い方をしてしまった。「名前なんか分かればいいのだ」という俺の言葉に「まあ確かに」と頷いた・ 「それで何入れるんだ?」 「もらいもの入れるだけ」 「貰い物ー? 何だよ、一丁前に名刺貰ってんのか。これだから日本人は」 「はいはい、名刺大好きですまんな」 スタッフの中には日本人は少ないためこういった自虐ネタはよく通る。げらげら笑う声を背中に聞きながら部屋に戻った。また、カードさんが来たらしい。荷物を受け取りに行く前にはなかったプレゼントが置いてある。今回のは可愛いロリポップだった。 「……」 俺はダ・ヴィンチちゃんにもらった袋から名刺ケースと小型のレターセットを取り出した。お礼を何かしたいとマシュに相談したら、少し慌ててから一緒に頭を悩ませてくれた。そして「無難ですが、お手紙はどうでしょうか」と言ってくれた。無難どころかこういったことに疎い自分には目からウロコのような言葉だった。思わず「なるほど」と大きく叫んでしまった。手紙に何を書けばいいのか分からず、宛先も分からずとにかくThank you!と書いた。少し迷ってから名前も書いた。英語を喋るのには慣れても書くのは全く勉強してこなかったため自分でもわかる位に汚い字だった。とりあえず机の上に置いておけばカードさんは見てくれるだろうと思いそのまま放置した。 次の日の昼、マスターくんのレイシフトが安定値を取り始めたので交代をした。部屋に戻ってみると置いた手紙は無くなっていた。その代わりに湯気の出ているコーヒーが机の上に置かれていた。出来立てで、暖かい。サーヴァントは霊体化できる。つまり、俺が見てないだけでカードさんはここにいるのかもしれない。眠たい頭で飲んだコーヒーは俺がいつも飲むのよりも甘かった。 「ありがとうございます、美味しいです」 はたから見たら一人きりでそんなことを言ったのかと思うと恥ずかしくなってきた。コーヒーを飲み干し食堂に返しに行く。休憩時間は限られているのでてきぱきと行動しなければならない。歩いていると、何かが腕に触れた。廊下で誰かが横切った気がした。 ホームズは俺に恋愛相談をした。彼にアプローチをしたいのだ、とすぐに分かった。ミステリー好きな彼がホームズに迫られたらすぐに陥落してしまいそうなものだが、現実というものは厳しかった。それとなく彼にホームズについて聞いてみると、若さが解釈違いだと言われた。彼の中では古き良きドラマの紳士がイメージに近いのだそうだ。あー、このままじゃ絶対に成功しない。そう思った俺はとにかく婉曲にアプローチすることを勧めた。ホームズは半信半疑だったが、彼がプレゼントされた花を部屋に飾るのを見て俄然やる気を出した。あの殺伐とした部屋に色が増えていくのが楽しかったのかもしれない。 プレゼント作戦によって彼には誰かが自分を見てくれているということが分かったようだった。普通にやったらストーカーまがいの行為も、この閉鎖的空間では問題にならないらしい。彼は名刺を入れるケースを買って嬉しそうに笑っていた。その光景を見たホームズの喜色満面の笑みである。サーヴァントも恋をするんだなあ、と清姫を棚に上げて自分はそんなことを思っていた。 「それでミスター・立香、次は何がいいかな」 作戦が功を奏したと見るとホームズの機嫌はとてもよくなった。ニコニコと笑顔を浮かべて自慢の頭脳を使わずに、言い換えると見たくない現実は見ないように彼へのプレゼントを考えていた。もちろん見たくない現実というのは、彼がホームズからのプレゼントを叩き落として踏みにじり捨てる場面である。普通はありえないことだが、彼への今までのアプローチを考えるとありえないと断言はできないのが辛い所だ。 ホームズの中では彼が最上級の善の人間に見えるらしく、「あんなに賢くてあんなに優しくてあんなに素晴らしい人間が私を好きになるはずがない」と俺に聞かせた。その言葉を聞くたびに、そんな人間はいないよと思ったし、いたとしても彼には当てはまらないと思っていた。ただまあ、後半部分はそうかもしれないと頷いてしまった。彼がホームズを好きになるはずがない。それは今でもそう思っていることである。 ホームズの相談役という大役に着いたことを俺はダ・ヴィンチちゃんに報告していた。誰かに話したかったという方が正しいけれど。俺の話を聞いたダ・ヴィンチちゃん曰くやはり彼もイギリス人だということで、つまり彼はめんどくさいイギリス紳士だった。 「イギリス人の紳士といえば、頑固で偏屈でいちいちめんどくさい奴ってイメージがあるね」 「そうなんだ?」 そうだよ、あのハリー・ハートだってそういうタイプじゃないか、とダ・ヴィンチちゃんが笑う。彼にオススメされて皆で見た映画のキャラクターだ。ちょっと嬉しくなって笑った。 「ホームズっていうのは正にそういうタイプだろう?」 嫌味な老人ではないけどね、と付け足しても自分には何だかその様に思えてきて仕方なかった。つまり、めんどくさい彼は恋した相手にどう接していいのか分からず自分の力を誇示しようとして失敗を繰り返していたのだ。名探偵の力を使うと彼は残酷な未来を見てしまうというのは誰もが分かることだった。俺もこのプレゼント計画のその先がなかなか思いつかず困っていた。そんなホームズに見かねて手を貸したサーヴァントがいる。あのファントムだった。いつものようにクリスティーヌと名前を呼びながら彼愛用のマグカップを見せた。真っ白なマグだと思っていたが取っての部分には小さなホームズの絵があった。ホームズはそれを受けとると「なるほど」と頷いてすたすたどこかへ行ってしまった。後から分かったことだが、ホームズはエミヤのところに行って美味しいコーヒーの淹れ方を勉強したらしかった。うちにイギリス出身のサーヴァントがいないせいでエミヤには苦労を押し付けてしまった。コーヒーの特訓は色々と騒がれながらも着々と進んでいた。 そろそろプレゼントのレパートリーも無くなるのではないかという心配もなく、彼の部屋が色づくのを見ながら淡々と過ごしていたらホームズが駆け寄ってきた。目の前が暗くなるくらいに近づけられたそれは紙だった。英語でありがとうと書かれている。 「ホームズ? これ、どうした…」 ホームズの顔は真っ赤になっていて震える声で「初めてのプレゼントだ」と呟いた。ホームズというキャラクターは普通の人には理解できない思考回路で、それを受け止めるワトソンがいる。でもここにいる男はそういった設定をかなぐり捨てて生身で一目惚れを成就させようと頑張っている。それが分かった瞬間、今まで適当なアドバイスをしていたのが恥ずかしくなった。 「おめでとう」 「ああ!」 プレゼントの贈り主が貴方と分かっていなくても、たった一言の紙切れでも喜んでいるとは……。何だか見ているこちらが悲しくなるような話だった。今どきの中学生でもこんな純愛はしてないんじゃないか、というくらいにこそばゆい気持ちになった。 「先は長いかもしれないけど、頑張ろうね」 「ああ!!!」 モリアーティを論破したときよりも数倍いい笑顔でホームズは頷いた。 彼はカードさんがホームズであるとは知らないはずである。俺はもう一度ホームズのことをどう思っているか聞いてみた。彼は苦い顔をしてぐぅっと考え込んだ。 「悪いやつじゃない、よな」 彼自身の言葉では断定ができない。自分の方も口が引きつるのを感じた。 「うーん、いや、俺がいけないんだ。うん、そうなんだけど。うーん、でもなあ」 一人でぐだぐだと考え込んでしまった。長くなりそうだなあ、と思って待っていたら「あいつを見てるとたまに怖くなる」と言った。 「怖くなる? なんでですか?」 純粋にそれは疑問だった。コカイン中毒だから怖いとか、見透かされるから怖いとか、考えられる理由はいくつもあるのに彼にはどれも合わない気がしていた。 「……。俺、ワトソンが好きでさ」 「はい」 「ホームズとワトソンはずっと一緒に居るものだと思ってたんだよ。ていうか、原作のホームズって普通に考えて頭がやばいやつじゃん? 俺の主観だけど、ワトソンがいないとホームズの思考回路は理解できないんだよ。シャーロック・ホームズが英霊として存在するなら、究極的に言えばワトソンが必要なんだよ。いや、まあ原作では一緒にいない時もあったし、そういう二次創作もあったけど大半はホームズとワトソンはコンビなんだ……。なのに、このカルデアの中ではホームズは一人だし、なんかよく分からない姿だし、実在してたのか作品のキャラクターなのかもわからないし」 「まあ、はい……」 アイドルの推しがグループを脱退して個人でバラエティに出るようになった姿を冷静に観察しているオタクのようだ、と思ったがそれは何も言わない。本人も限界オタクみたいだ、と思っているようだった。「あー、俺キモいこと言った」と頭を抱えてしまった。 「そんなわけで、俺の中でホームズは解釈違いの一点だから悪いとか良いとかの次元にいないかな」 「なるほど」 そう断言されてしまうとこちらも打つ手がなくなる。ホームズと二人で作戦会議かなあ、と部屋を出ていこうとした時、彼は俺を呼び止めて手紙を一枚くれた。 「ホームズに言っておいてくれ、コーヒー美味かったって」 「え」 俺はその時自分でどんな顔をしていたのだろうか。彼は俺の顔を見ると「どうした、鳩が豆鉄砲食らったのか」と笑っていた。 この時の俺はまだ知らなかったが、ホームズ曰くエミヤと一緒に居る時にコーヒーでもどうかねと誘って飲んでもらったということ。彼が徹夜で意識が飛びそうな状態だったのでこうやって素面になってからもう一度お礼を伝えたのである。それが分からなくて本当に焦っていた。こうやって振り返ると、これは彼からカマをかけられたのかもしれないと思うが本当のところは分からない。 ホームズが未だに正体を明かさないのでカードさんという名前の誰かがいるんじゃないかとも思い始めた頃。カードさんは着々と彼の心に侵入していた。ホームズはそれでいいんだろうか、と心配もしていたが今までの状態もひどかったためホームズはニコニコとしていた。その後、段々とホームズと彼との関係が近くなっていった。スタッフの皆は、解釈一致かと揶揄していたけれどそれ以上の意味があると思っていた。 クリスマスの夜。レイシフトを終えてカルデアに帰ってきたら二人が窓辺に座り何かの話をしていた。何の話をしていたのかまでは聞こえなかった。ただあの二人が隣り合って笑い合う関係にいつの間にかなっていたことに良かったと感謝していたのだ。 2017年12月26日。藤丸立香の人理修復は終了した。特異点はすべて消滅したのである。カルデアに召還されたサーヴァントも退去した。一部のサーヴァントを除いて、だが。ダ・ヴィンチ所長代行のお蔭でこの日は臨時休暇だった。これで、カルデアから別れるはずだった。廊下を歩いているところで彼と会った。この後どうするのか聞いてみると、彼もまたカルデアから日本へと戻り、どこかの研究所に所属すると教えてくれた。アイツらみたく栄転ではないけど、と笑っていたのも覚えている。あんなに笑いあっていたのに今では声すらもおぼろげだった。 「あの、」 「ん?」 「ホームズと、何かしゃべれましたか?」 ダ・ヴィンチちゃんの工房で実はホームズに会っている。でも、秘密中の秘密なのできっと彼には伝わってないと思う。今なら彼とホームズについて聞けるんじゃないか、と思った。 「………。どうだろうな」 「どうだろうな、って…」 「うん、俺もよく分からん! ただ、そうだな。口喧嘩ばかりで変な関係だったけど、ほとんど毎日と言っていいくらいに一緒にいたからな。……いなくなった今は、寂しいと思ってるよ」 その顔は確実にホームズを想っているものだった。とあるサーヴァントが頭の中に過った。北アメリカで出会ったラーマ、そしてラーマを救ったシータの二人。彼らは離別の呪いから出会えない運命だった。会えない人を想い、いつか会えるだろうと信じて彼らは笑った。その顔に、よく似ていた。自分はその時何も言えなかった。彼とホームズの間に確実に愛があった。ただ、カルデアは外部の人に来てもらわないといけない。ホームズはいなかったことにされている。カルデアスタッフには座に還ったことにされている。彼は、この後絶対にホームズに会えないのだ。それが、苦しかった。泣かない彼の代わりに俺はその時涙をこぼした。 「ん? って、おいおい、なんだ、カルデアとの別れがつらくなったのか?」 首を振ってもきっと彼にはこの涙の意味は分からないだろう。そんな感じです、と頷くと彼は寂しそうに笑った。その顔はホームズについて喋っているときよりも少し明るくて、カルデアから離れた後も連絡を取りあおうという約束をした。 藤丸はここから先のことを考えるのを止めたかった。彼らはきっと幸せになる、とサーヴァントと人間とが恋愛関係になれるとそう思っていたのだ。それは、ありもしない夢物語であった。カルデアが新体制に変わり、ゴルドルフ新所長とコヤンスカヤという秘書が来た。査問会議も行われたし、カルデアスタッフたちは拘束された。それは彼も同じだった。自室にあったものも全て確認されたらしい。彼が持っていた名刺ケースも持っていかれた。彼とホームズの思い出が踏みにじられていくところを、マスターだったからという理由で見せられた。あれは、本当に必要だったのか。今でも分からないのだ。そうだ、それとほとんど同時にカルデア本部に敵襲があった。ゲートが制圧されて、アナスタシアが来た。あの時は名前も分からなかったし能力も分からなかった。敵がいて、殺されそうな状態だったとしか。ホームズが助けに来てくれた時、ホッとした。それと同時に彼のカードを思い出し、彼が今どこにいるのか気になった。もし生きていれば一緒に逃げたい、とそう思った。でもホームズは4人ほどスタッフを助けたと言うだけだった。この言葉で、俺は何かを察した。じっと見つめると、首を振られた。何も声をかけることが出来なかった。 その後、ダ・ヴィンチちゃんと合流してホームズに指示されていた地下の格納庫に急いだ。ムニエルさんが先にいて、黒くて大きなコンテナに乗り込むのを手伝ってくれた。マシュがスタッフについて聞くと、西館に逃げてきた人たちだけだったんだと教えてくれた。東館の通路は氷でふさがっていて、逃げたみんなは氷漬けになったらしい。何でそんなことを知っているのかと、疑問に思った。俺の表情を見てか、伝えなければならないと思ったのか。ムニエルさんは努めて落ち着いた声を出した。 「ホームズと仲の良かったアイツ、さ」 「! はい」 「アイツの死体をホームズが運んできたんだ」 ひゅっと、喉に息が吹き込まれた。マシュも肩を揺らしたのが分かった。彼の死体をホームズはわざわざ持ってきた。それが何を意味しているのか。考えることが怖かった。寂しいと笑った彼のことを思い返した。ホームズは、彼よりもよっぽど独善的な愛を持っていた。 ゴルドルフ所長を助けに行き、急いでコンテナに乗り込んだ。ダ・ヴィンチちゃんとの別れを経て、そしてコンテナの中で彼の死体に出くわした。凍り付いて白くなった彼は上を見たまま動かない。 「先輩」 「マシュ……」 「落ち着いてください、先輩」 冷えた手をマシュが握っていた。別れをここで惜しんでいても仕方ないのだ。前に進まないと、この死を受け継いだことにならないのだ。先に、進むのだ。そして俺たちはカルデアから抜け出て南極の山脈を滑り落ちたのだった。 ――死んだときどう思ったかだって? お前ってやつはやっぱり名探偵だな……。常人には理解できない思考回路を持ってるって意味だよ、褒め言葉じゃない。……いや、俺にとっては最大限の褒め言葉だ。そうだな、周りも死ぬことはなんとなく分かってたよ。でもまさか、ここで死ぬなんて思わなかった。正直、藤丸がどこかで死ぬことは想像できてたさ、あんなレイシフトを繰り返してたんだから。でも自分が死ぬことなんて想像できるわけない。……。うん、俺は死にたくなかったよ。それでも俺の死について誰かが悲しんでくれたらいいのにな、とも思うなあ。なあ、藤丸は……生き残ったスタッフがいたとしたら、俺が死んだことを悲しんでくれたのかな。 ホームズは彼の死体のそばに寄り添っていた。記憶の中の彼は笑っている。そして自分の死にざまなどを語っていた。 「大丈夫、君が心配せずとも皆がその死を悼んでいたよ」 彼が求めていたのは個人としての悼みだったかもしれないが、それはホームズが他の人の分まで十二分に果たしたつもりであった。彼が心配することなど何もないのだ。頭の中で彼は笑っていた。お前ってばちょっと欲張りだよな。そうだ、私は恋のために強欲になったのだ。ふと、彼の姿が消えてしまった。このような言葉を投げかけたことはない。考えられる反応とその正解が結びつかず幻は静かに消えてしまった。 敵のサーヴァントのおかげで彼の死体はほとんど損壊もなく、腐ることもなく残っている。何も映さない瞳は開いたままで、指は硬くなり握ってくれることもない。その声を聞くことなどもってのほかだ。彼の声はすでに頭の中に入っていた。彼との触れ合いも記憶できていた。だからこそ、今の様なことができたわけだが正解は彼しか持って居ないのである。ホームズの力を以てしてもその問題だけは解けなかった。彼が、シャーロック・ホームズを愛していたかなんて。 「 」 名前を呼んでも彼は何も言わない。ホームズ、と呼んでくれることはない。ぱしぱし、と視界の中に光の繭が写り込む。カルデアを出てからこの繭をずっと見ている。そしてこの繭を見るたびに人影が二つホームズの傍に現れる。タブレットを持っている彼とそれを覗き見る男。自分を客観的に見ることは不可能だ。自意識の崩壊につながる行為だ。だから自分はこの人影を見ることはない。そこに完璧で正確で理想を体現した彼の幻があり、そこにいれば自分は幸せに浸れるものだと分かっていても、である。おぼろげであやふやな記憶しかホームズには手にできない。 「愛している」 自分ではない自分の声が聞こえる。彼の笑う声もだ。ふと、光の繭が消えた。暗闇の中で凍り付いた死体が自分のベッドに寝ていた。水滴が彼の頬に流れている。誰が泣いているのか、自分には分からなかった。