寺生まれの男と地獄
「俺がそいつを殺せたら、たとえ地獄に落ちたって構わないさ」 何年と付き合ってきてこのままずっと一緒にいるのかなあ、なんて夢想していた恋人がそんなことを言った。おれは迷わず彼に「別れよっか」と伝えた。まさかそんなことを言う人だとは思わなかった。漫画で見たことあるような言葉がすとんと胸に落っこちた。 「……は?」 「ごめん、マツダ。おれ、地獄に落ちる人と付き合うことはできない」 「なに言ってんだ、今のは言葉のあやってやつだろ……!?」 「そうだよねぇ。そういうのって言葉のあやだし、比喩だし、軽く使われるんだよね。でも、でもさ。それをおれの前で言うの?」 マツダが押し黙り、おれのことを睨みつけた。いや、それは睨むと言うよりはおれの真意を推し量るための表情だったのかもしれない。だが、おれは彼のその表情を見て「ああ、この人もそういう顔になるんだなあ」とびっくりしていた。今まで長らく付き合ってきたが、惚れていたときの視界の狭さときたら彼の分かりやすいこの顔にも気づかないくらいだったらしい。 気持ちがさめるのは一瞬のことだった。 「おれ、いつも念じてるんだよな。ちゃんと、ちゃんと。でもマツダはおれとは違う。それは人の自由だし、おれは何も言わなかったけどさ……。でもそんな簡単に地獄って使われてはいそうですかって付き合っていられるほどお人好しじゃない」 おれの視線に彼は怯んだようだが「地獄へ行くことは、おれの覚悟だ」と言い返してきた。 「なら、勝手にしてくれ……。勝手に地獄におちててくれ」 おまえにとっての地獄ってなんだよ、とは聞かなかった。それを聞いた時に、おれはマツダと決定的な決別をしなければならないとおもっていた。 おれは自分が言うのもへんだが、周りの人間よりも信心深いと思う。家が寺ということもあり、おれの生活には身近に仏像があり、寺での修行があり、女は不浄という過去の教えがしみついていた。もちろん過去の教えに縛られるような寺はいまはあまりないけれど、自分の興味で調べれば調べるほどに女というだけで見放されてきた話を見てしまうこともある。 説話を読んでいると、信心深く、正直者で、ひとに優しく、親を大切にするような人間がやさしい庇護を受けることができていた。女たちへの庇護が結婚で終わったりすることばかりなものはいかがなものか、と思ったりもしたが仏様が現代の感覚についていけないなんてあるわけないと考え直した。 おれはそんな女という概念が嫌で嫌で、女を弱者として罪を犯す人間が嫌で嫌で、そんなわけで警察官を志望したのだった。それはきっとおれのやりたいことではなかったのだろうし、家を継いでほしいとおもっていた家族も苦い顔をしていたがおれには才能があった。人間と戦うことに才能があることを今までずっと苦にしていたけれど、警察官の道はそれなりに合っていたと思う。 マツダと出会ったのは警察学校でだった。最初の頃はお互いによく知らない人間だった。出会ったのは爆弾犯がダイナマイトをもって立てこもった事件の時だった。再会したとき、彼は重装備すぎておれには誰か分からなかった。 彼の方からしたらおれはすぐに分かったらしく、ドカドカと足音を鳴らして彼から会いに来たというわけである。付き合ったのは軽いきっかけだった。レイプ魔の男が金で示談をもぎとったと聞き、やけ酒をしていた。マツダはそんな怒るなよ、と言うがおれは怒るしかなかった。なにが警察だ、と思う。どうしようもない気持ちにさせられる。 そのあと、なぜか付き合うことになっていたのだが酒の勢いというものはおそろしい。 マツダはおれに地獄へ落ちることを覚悟として伝えたかったらしいが、おれはそんな地獄をどうにも許容できなかった。勝手に落ちてろ。その一言に限る。なぜそんなにも地獄を生み出すのか。大して信仰心もないくせに。信用できないのだ、地獄という言葉が。 だが、運命というものは何か意味があるのか。姪をつれてきた観覧車で爆弾を見つけた。姪はハッとした顔でおれと爆弾を見くらべる。警察だが、残念ながらおれには知識はない。いや、実践することができないのだ。 少し考えたあと、おれは姪に手紙を書かせまだ座席の中に居座ることにした。ついでに警察手帳もわたしておく。形見がないと家族が可哀想だ。こんな未練のあるままで成仏はできるのだろうか。 よく分からない、と思いながら爆弾と過ごしていたら誰かが無理やりに乗ってきた。叫ぼうとするおれに誰かはガンッ、と力強く殴った。 「なんでテメェがここにいる!」 「遊びに来てた」 「あぁ!? おれ以外とかよ!?」 「姪だ」 マツダは急に大人しくなり「死ぬつもりだったのかよ」という。どうだろうか。死んでもいいとは思っていたが。 「爆弾処理班が来なければ死ぬつもりだったかもな」 「……てめぇもおれを置いていくつもりか」 「萩原だってやることはやったんだろう? あいつの死はあいつのもんだぞ」 マツダは親友の萩原が死んでからずっとしょげこんでいた。そのまま地獄なんて言い出すから、おれはこの男と一生を共にすることはできないなと思ったのだ。 「おれは、おれはな……」 「マツダ。本気で生きようとするやつに手が差し伸べられるらしいぞ」 おまえは生きたいと思うか? と聞くとマツダは当たり前だろ、と泣きそうな顔でつぶやいた。そんな顔するくらいなら言葉のあやなんて使わなければいいのに。 じゃあ地獄なんてよく分からないもの目指すより一緒に生きてみるか。 声をかければ、マツダは泣きそうになりながら頷いた。