「怪我」「かすか」「影」

 フロイド先輩はどうしようもなくうるさい人だ。ねーねーと近寄ってくるのをかわしてシュートを打った。がこん、と外れる。へたくそ!と先輩から声がかかった。今のは、確かに決めるべきだった……。フロイド先輩をにらむが向こうはしょんぼりとした顔で「ねー#名前2#ーー」と声をかけてくる。やかましい、とは言えない。言ったら何をされるか分からない。コートの外から突然入ってきて人に話しかける先輩なんて気にするべきじゃない。くそ、と手を振ったら指から血が流れていることに気づいた。目ざとくそれを見つけた先輩に「#名前2#交代はいりまーす」と声がかかる。フロイドはその声も気にせず#名前2#を見ていた。 「#名前2#ってば、まだ怒ってんのー? 許してよ、ちょっとからかっただけじゃーん」 「エース、さっきのは俺のミスじゃねえからな……。勝ったとか思うんじゃねえぞ、お前じゃなくてベイン先輩に負けたんだからな…」 「おいおい、そんな負け惜しみをたっぷりしゃべんなくても大丈夫だぞ。あっ、もしかして……。ようやく負け越しを認めるか?」 「ふざけんな、あとで絶対に勝負しろよ。ワンオンワンでだ、いいな」 「いいぜ、待ってる」  ひゃははは、と下衆な笑い声をしてエースは#名前2#の投げたボールを受け取った。別の1年生がコートに入る。#名前2#はついでに水も飲もうと自分の水筒を探したらフロイドに取られていた。見られていると分かったフロイドは#名前2#を見てぴょんと首をあげる。俺のところに来たのかなという笑顔だった。  #名前2#はもちろんフロイドのために出てきたのではなかった。水筒がないのなら水道にまで行けばいい。ひとまずは血を止めないといけない。ベンチ横に無造作に置かれている救急箱からテーピングを取り出した。フロイドがいるのだから手伝ってもらえばよいものを、一人ですべて準備して傷の手当てをした。フロイドは見ているだけ。#名前2#はてきぱきと終わらせるとまたコートに入る準備をする。フロイドの方も#名前2#に声をかけるものの触ることがなかった。  部活が終わったら寮に帰らなければならない。エースは#名前2#に先輩のこと放置してていいのー?と聞いたが#名前2#は「大丈夫」と答えるばかりだった。かすかに笑ったその顔にエースはこわ~~とつぶやく。 「は? なにが?」 「お前の性格が」 「失礼だな……」  #名前2#は運動着から制服に着替えると更衣室から出ていく。外にあった気配はそのまま#名前2#とどこかに行った。エースはそっと後ろにいるジャミルに視線をおくる。ジャミルは他の後輩たちにも聞かせるようにか少し大きな声で「ただの痴話げんかだから関わらない方がいいぞ」と言った。  フロイドはやっぱり自分を見ない#名前2#にめげずに話しかけた。名前を呼ぶ。魔法をかける。それでも#名前2#の足は止まらない。フロイドはだんだんと泣きたくなってきた。歩くのも疲れてしまった。 「#名前2#が、言ったんじゃん」 「…。何がですか」 「俺に、名前を書けって言ったのは#名前2#だもん…」 「いや、そんな話しましたっけ!?」 「したよお、#名前2#がわりーよ、俺のせいじゃないじゃん」  涙声で訴えかけるので#名前2#も仕方なく振り向いてフロイドのもとに近づいてくる。制服姿で唇をふるわせて鼻水をたらしているフロイドを見ているとこれまで無視していたことが申し訳なく感じてくる。しかし、あのイタズラは許せない。 「なんであんなことしたんですか」 「……。自分のものには、名前書けって」 「? そうですね」 「#名前2#は、俺のものだもん」  なんだ? つまり、フロイドは自分のものアピールのためにあんなイタズラを仕掛けたというのか? #名前2#にはよくわからなかったがフロイドの中ではおそらくつながっているのだろう。 「じゃあ、もうそれでいいですから。洋服にイタズラするのはやめてください」 「本当に? いいの?」 「いいですよ」  #名前2#は深く考えずにうなずいた。フロイドはにこにことした表情に変わってさっきまでの陰のある表情はどこへやら、である。 「じゃあ俺、クマノミくんと恋人だね」 「はいはい……はあ…?」  #名前2#は早まった選択をした、と心の中で寒風が吹いたような気持ちになった。  事の発端は#名前2#のもとにつけられていた紙のイタズラだ。そこにはフロイド・リーチという名前が書かれていた。#名前2#はその紙に気づかないまま一日過ごしていたのである。ちょうど部活もオフだったので着替えることもなく余計に気づかなかった。  寮の中で笑われたくらいならまだよかった。#名前2#には何のイタズラなのかは分からなかったがフロイドの気まぐれか何かだろうと思って取ろうとした。しかし力を入れても全く取れない。えっ、取れないんだけどと友人に頼んでみても全く取れなかった。仕方ないから、と別の服に着替えようとしたらそれにもやっぱり紙がくっついている。アズールによる薬でも塗られているのか#名前2#にはこれも自力で取れなかった。笑っていた友人たちもさすがに「まずいのでは」という空気が広がり、寮の先輩の魔法で取ってもらった。自律魔法によるものだったらしく1年生では取れるはずがなかったのである。それがすべての服についていたのだから#名前2#は怒った。魔法で着替えることが苦手な自分に対する嫌がらせか!!?!?と吠えた。  翌日、モストロ・ラウンジにやってきてフロイド先輩!!と叫んだ#名前2#を見てフロイドはぱあっと顔を明るくする。「あっクマノミくん」とのほほんとした呼び声だ。どう見ても昨日のイタズラを反省しているフリでもない。 「あの、俺の服につけたのって」 「うん、俺おれ~。クマノミくんがさ、バスケ部ないと寂しいってしゃべってたから。考えたんだよ俺」 「……。寮の中に入ってわざわざどうも!!」  #名前2#はそれだけ叫んでラウンジを出ていった。なぜあんなイタズラをされていたのかという理由は「どうせ気まぐれだろう」と思って何も聞かなかった。おいて行かれたフロイドはなんで#名前2#が怒ったのか分からずぼんやりした顔で#名前2#を見つめていた。  それからはフロイドのことをずっと無視する時間が続いた。学年も違う、寮も違うので授業がかぶることもない。#名前2#は大勢の人ごみの中に見事に自分を隠してみせた。フロイドに影さえも踏ませなかった。しかし部活は隠れることもできない。そのため、あのような出来事が起きてしまったのだった。  フロイドは#名前2#と初めて会話した時のことをよく覚えている。一年生の彼はサムの店で買ったというインクペンでシューズとタオルとに名前を書いていた。 「なにしてんのー?」と聞くと#名前2#はフロイドの方も見ずに「名前を書いています」と馬鹿正直に答えた。 「そんなのはわかってるんだけど」 「名前を書かないと分からなくなりますから」 「はあ? どういうこと?」 「自分のものには、自分の名前を書くんです」  #名前2#はほらね、と水筒を見せた。シールの上から大きく「#名前2#・#名前1#」と書かれていた。 「バスケ部の先輩ですか? 入部希望の#名前2#・#名前1#です。よろしくお願いします」 「……フロイド・リーチ」 「フロイド先輩」  その時は面白いやつが入ってきたなあ、ぐらいにしか思わなかった。だが#名前2#のことをよくよく目で追いかけると不格好ですごく強いとは言えないし勉強がたくさんできる風でもない。ただただ真面目なところだけが彼の強みだ。 「あいつさあ、なんでシュート入んねえのかな」 「誰のことだ?」 「#名前2#!! クマノミの!」 「#名前2#か。あいつはあいつなりに頑張ってるところだろう」  ジャミルの言葉を聞いてフロイドはむうっと顔をしかめた。同じ寮だからって仲良しアピールすんなよ、とつぶやくとジャミルは「そんなこと誰もしてないぞ…」と否定する。その否定は残念ながらフロイドには伝わらなかった。 「俺は部活ないと#名前2#に会えなくなるのに、」とフロイドがぶつぶつ文句を言うのでジャミルはため息をついて言ってやることにした。 「じゃあ、自分のものだってアピールでもしたらどうなんだ」 「え?」 「そうすれば#名前2#がお前のことを思い出してくれるだろう」  ジャミルとしては早くこの愚痴を切り上げたい一心で言ったのだが、フロイドの頭の中では名前を書くことがすぐにつながった。ジャミルに「#名前2#の部屋につれってよ!」と言われて紹介したのもジャミルである。なので本当は痴話げんかでも何でもないのであるが、逃げるためにあんな言葉を使った。あとでジャミルは青い顔をした#名前2#に「フロイド先輩と恋人になりました……」と言われた。ジョークが事実に変わっちまったなあと思ったが#名前2#には何も言わなかった。たった一言「おめでとさん」と笑いかけられて#名前2#は現実からは逃れられないと知った。