11

#名前2#さんと呼ばれて振り向くと士郎がぽつねんと立っていた。 「やあ、士郎」  #名前2#はちょっとだけ手をあげてまた書類の方に顔を向けた。事務所以外で仕事をしてみよう、という革新的な試みを#名前2#とその同僚は任せられているのだ。  世祖は#名前2#の背中にくっついたままスピスピと眠っている。まだ仕事?と言われれば苦笑いしかできない。仕事していないと変に頭の中がざわめいて眠れなくなるのだ。倒れて病院に世話になることも何度かあった。沖野という男が世間的には死んでから2週間が経つ。今日は士郎とイリヤを家に預かる日だった。 聖杯戦争の停戦を目指したのは#名前2#だけであったが、その行動を受け入れたのはほとんどいない。キャスター陣営のみは聖杯戦争に何か願いをかけるわけでもなかったので言われることはなかったのだが。それでも停戦を実現させたのはひとえに沖野という魔術師のお陰だった。彼がいたからこそ停戦は行われたし、彼がいたからこそ#名前2#も世祖も生きていられるのだ。 「いいかい、君はこの地脈を全て破壊するんだ」 沖野さんは特に感慨や寂寥なども感じさせないみまま#名前2#にある一点を指し示した。それに#名前2#も頷いて、なるほど俺の墓はここになるのかと思っていた。大聖杯を移してもこの地脈が聖杯と繋がる限りは安心して眠れないと言われればそうならないように#名前2#は頑張ろうとする。沖野の策はとてつもなく簡単に#名前2#に刷り込まれ、聖杯戦争が終わると同時に自分は死ぬのだと勝手に思い込んでいた。#名前2#が養子に貰われてから初めての日のことだった。  そして、あの倉庫街の一件のあとマスターとサーヴァントを集めて停戦の申し立てをしようとなったときには#名前2#はすぐに地脈のところへ行けるように針を繋げていた。本丸で使っていた真鍮製の羅針盤を使ってすぐにそこに行けるようにした。勿論、龍之介を殺そうなどという考えは#名前2#には持ち合わせていない。人殺しになどなるものか、彼はまだ生きてしかる人間なのだ。なので申し立てをしたあとはマスターたちの諫言を聞き流してさっさと地脈へ急ぎ死ぬつもりだった。そのために世祖はわざと集めさせた教会へは連れてこないで沖野さんと共に大聖杯の移動へ力を使わせていたのだ。まさか、申し立てにマスターたちが賛成するとは思わなかったが。 「お前たち、正気か? 聖杯戦争の歴史をぶっ壊したいって言ってるようなもんだぞ?」 「歴史などどうでもよい」 「アーチボルト……」 「愛する者すらも失って欲しいものなど私には無いからな」 「お前、なにそのキザなセリフ」 「殺されたいのか?」 「すまんすまん」  軽口を叩きながらも#名前2#はマスターたちを連れて聖杯のもとへ行こうとしていた。だが結局は叶わない話だった。沖野のケガを#名前2#が代わりに引き取らされたのだ。唐突に倒れた#名前2#に時臣がすぐさまかけ寄れたのは過ごした期間が一番長かったせいだろう。  穢れが体を蝕み、傷を作り、大量の出血が#名前2#を襲っていた。そんな姿になってもなお#名前2#は沖野や世祖のことを心配していたというのだから、彼はやはり縛られているのだ。  ウェイバー・ベルベットが#名前2#の入院しているという病室にやってくるとサーヴァントである世祖がベッド脇のもとに浮いて待っていた。うわっと声を上げそうになった時、その横に師のケイネス・エルメロイ・アーチボルトがいたことにも驚かされたが。 「……ウェイバーか」 「…………どーも」 「君は、#名前2#から話を聞かされたそうだね。聖杯の穢れについて」 話、だったのだろうか。ウェイバーにはよく分からなかったがケイネスが言いたいのはそれだろうなとだけ理解できた。なので返答は曖昧に「ええ」と頷くだけだった。 「正直な話、私は遠坂とアインツベルンが停戦に承諾していることに驚きだった」 「ああ、御三家だからですか?」 「それ以上に、彼らは魔術師としての誇りが高いからだ」  それはアンタもだろう、とウェイバーは言いそうになったが#名前2#を見るケイネスの横顔が平時より和らいでいて不思議な気分だった。あの嫌味ったらしくも正論をぶつけてくる彼はどこにもいなく、普通の……、そう言うなればウェイバーの居候するマッケンジー家の人間のような穏やかさがあった。 「こんな私に驚いているのか、ウェイバー・ベルベット」  図星だった。こんな、というよりは最早別人のケイネスという男にウェイバーは驚いているのだ。だがケイネスは気にせずに「私も驚いているのだ」と話を続ける。 「前までの私は魔術師という概念に囚われていた」 「………」 「魔術師として神童と呼ばれるのは気分がよかったからな。美しい婚約者をもらい、聖杯戦争に勝利すれば私はこの世の叡智を極めたと思っただろう。だが、そうならなかった。倉庫街での幻で、#名前2#という男が第三者から見た私を詳細に教えてくれたよ。傲慢で哀れで見るに堪えない醜男だった。 私はロードエルメロイとしてのプライドがずたずたに引き裂かれるのを感じた」 「あんた、キレイっすよ」  微妙な助け舟にケイネスは顔をしかめる。キレイと言ってもディルムッドのかんばせには程遠く及ばないことはウェイバーも分かっているはずだからだ。嫌味かね?と聞いてもどうせ伝わらない。この弟子はケイネスの内情を知らないのだから。 「世辞はいい。キレイなどというのは、人によって変わるものだ」 「………。でも、皆が美しいというものもありますよ」  やけに言葉を返すウェイバーにケイネスが視線をやるとウェイバーは肩を竦めながら「うちのサーヴァントは言うんですよ。綺麗なものは愛でろってね」 「ふっ、私を愛でようって? 君もまたサーヴァントのように傲慢になるつもりか」 「そういう話しじゃありませんよ!! ただ、……勝手に卑下されるのは気分良くない、から」  親に叱られた子どものように話すウェイバーにケイネスはははっと笑いたくなった。久しく出てこなかった腹からこみ上げる笑いは抑えるのにとても苦労した。 「ウェイバー・ベルベットよ。ミイラは見てきたのか?」 「え、ああ、はい」 「ならばよい。時計塔と話をつけねばならんからな、来なさい」 「わかりました」  スライド式のドアが閉められて#名前2#の目が開く。ウェイバーが適当に置いていった果物の入ったかごを落ちないように押しやってから世祖の手をつついた。うに、と起き上がった世祖は眠たそうな目を瞬かせて#名前2#の方を見る。 「おあた」 「ああ、そうだな」  聖杯戦争は一応の終わりを迎えたのだ。  ミイラ。ミイラがある。沖野さんは、ミイラになった。その事が#名前2#の心のしこりになっていた。聖杯戦争の停戦を申し入れたあの日からもう1週間と3日経っている。入院費を払い、家に帰ろうという時には12月に迫ろうという日だった。  今年の寒波はそんなに強くない。雪が降らない分風が冷たく乾燥している。看護師さんがプレゼントしてくれたマスクをつけて世祖とともに歩くとずっと歩いてなかったせいで足がカクカクしていた。やはりリハビリは断らなかった方が良かったかも。ひょろん、と出てきた内番姿の大包平に肩を貸してもらいながら近くの公園まで連れてきてもらった。 「全く、この俺をこんなことに使うなんてな!」 「はは、すまんすまん。もう俺は……こんなにも耄碌してるんだよ」 「一時的なものだろう、馬鹿を言うな」  一瞬ギョッとしたことを隠すように大包平の語気が強くなった。ははと笑いながらも俺は嘘になってくれたらいいんだけどなあ、と心の中では苦い顔をしていた。怪我の後遺症というものが予想してたよりも重かったのだ。右腕が痺れて動きにくい。世祖は分かってる…だろうな、これは。右側に貼り付いてるし。 「ありがとう、大包平。もういいよ」 「………」 「大包平?」 「仕方ないからもう少しここにいてやる。有難く思えよ」 「はは、どーも」  大包平ってなんかギルガメッシュに似てるとこあるよなーと笑うとガチめに怒られた。あんな奴と一緒にするな、と言いたいらしい。大包平に肩を預けながら自分が寝ている時の話を世祖に見せてもらった。 イリヤスフィールという女の子に士郎という男の子が切嗣のもとにやってきて、綺礼は父親の璃正さんと冬木に残ることになり、ケイネスたちもまた時計塔からの調査員ということで冬木に残るらしい。みんなこの土地が大好きかよ、と笑ったら大包平に頭を小突かれた。 「皆、お前の心配していたんだぞ」 「まじで?」  ウケるな、それと笑ったら割と本気で頭を叩かれた。なんだかそれすらも沖野さんを思い出させる引き金になって涙が零れてきた。 「ぅぇ、あ、ぅ、……」 「#名前2#、なく、なく」  何かに包まれた。気分がふわふわとしてくる。涙に暮れた視界の中で白っぽい何かが周りにぐるっと大きくあった。 「これはお前のための保護膜だ。周りには見えない。今は泣いてしまえ」  涙が止まらない。声が引き攣るほどに叫んでしまう。もう訳が分からない。水が足りない。ずるずると溢れて出てくる。沖野さんは死んでしまったのだ。